プロフィール
1963年生まれ。プログラミング言語、デザインパターン、暗号、数学などの分野で入門書を執筆。最新作は『数学ガール』シリーズ。J.S.バッハの「フーガの技法」が大好きな、プロテスタントのクリスチャン。2014年度日本数学会出版賞受賞。公式サイト。Twitter。
私は結城浩さんのファンです。本は「数学文章作法」しか読んだことがありませんが、人柄・考え方・文章がすごく好きでファンになりました。私のロールモデルです。結城さんのように、ネットで文章を公開したり人と関わったりするのが夢です。
おすすめの読み物
・コミュニケーションのヒント
・文章を書く心がけ
・本を書く心がけ
・人生を歩む
・学ぶときの心がけ
・教えるときの心がけ
・仕事の心がけ
・メルマガ
・数学文章作法
未来に広がる一手
私たちは日々いろんな勉強や仕事をします。たいていは毎日・毎週きまったことの繰り返しになります。きまったことの繰り返しなんですけれど、その中でときどき「判断」が必要になることがあります。
この仕事、続けたほうがいいのかな?
それとも、これは終了させて次に移った方がいいのかな?長期的・短期的さまざまな観点での判断が必要でしょうが、一つの観点として、それは「未来に広がる一手」か?と問いかけるのはどうだろう、と思うのです。
その一手を打つことで、未来の自分が楽になるか。その一手を打つことで、勉強や研究や仕事の幅が広がるか。その一手を打つことで新しい世界が見えてくるか。もしもそのような一手ならば、それは「未来に広がる一手」です。
結城浩「未来に広がる一手」
「自分で選べることなんて何もないのでは?」と悲観的だった時期もありますが、今は(全てではないにしろ)人生のいくらかは選択できると思いますし、意志をもって選ぶことは大切だと思っています。迷ったときは「未来に広がる一手か」を問う。そうするとうまくいくように感じています。
同好の士を求めて
自分がブログでもTwitterでも何でもいいから情報発信することの重要性が見えてきます。有益な情報や高度な情報である必要はまったくなくて「自分はこういうことに興味がある!」という「情報発信」でいいのです。そうすると、同好の士が「あなた」を見つけてくれる可能性が高まります。
どういう本を読んでいるか、どういうニュースに関心があるか、どういうことをやりたいと思っているか、何でもいいのです。願望でもいいのです。それを自分の言葉で「情報発信」すると、波長が合う人からコンタクトを受ける可能性が高まるのです。
また、自分が考えていることや関心のあることをささやかな形でもいいからまとめていると、「いざ」というときに役立ちます。たとえば、何かの機会に同じ物理学徒に出会ったとしますよね。そのときに「自分はこんなことに関心があるんだ」と紹介できるWebページがあったら話が早い!
結城浩「同好の士を求めて」
これを読んで「情報発信、いいかも」と思いました。ホームページを通して同好の士を見つけられたら嬉しいです。
返事は1ビットではない
こういうことはよくある。 うなづいても見えるはずないのに、うなづいて返事をする。またうなづくにしても、頭の動きはほんの少し。次男も、長男も、それから奥さんも、そのような(ある意味)わかりにくい返事をすることがある。
もう少し若かったころ、私はこう考えていた。 「どうしてそんなにわかりにくい返事をするのだろう。 返事は『はい/いいえ』の二択であり、つまり1ビット。せいぜい『はい/いいえ/ちょっとまって』の三択なのに…。 はっきり返事をすればいいじゃないか。んもう」
でも、あるとき私は「はっ」と気が付いた。 「そちらを見ていないと判断できないような返事(うなづき)や、 注意深く見ていないと見逃すような返事(微妙なうなづき)を行うのは、 『もっと私のことをよく見て』というシグナルである」ということに。
結城浩「返事は1ビットではない」
「コミュニケーションは言葉だけではない」ということをうまく説明していてすごいです。
実家にいたとき、顔を見ただけで家族の機嫌が分かりました。表情、足取り、動き方。ときには、階段を登ってくる足音だけで分かる。たしかに、人はさまざまなメッセージを発しています。
「返事は1ビットではない」。相手の気持ちを汲み取るには、五感を総動員させなければならないなあと思います。
活動と喜びの関係
結城が一人で余暇に行う「活動」を、大ざっぱに三つに分類してみます。(1)映画や読書のような「受動的活動」
(2)パズルゲームをプレイするような「半受動的活動」
(3)文章書きやプログラミングのような「能動的活動」年齢のせいなのか、何なのかわかりませんが、ここ数年(1)から得る楽しみや喜びが少なくなっている気がします。雑に書くと(1)<(2)<(3)のような不等式になります。
学校に通っていた時代には、(1)が楽しくて楽しくてしょうがなかった記憶があります。ずっと本を読み続けていたり、映画を何本も観たり。やっぱり年齢なんでしょうかねえ。
たとえば(1)の活動として本を読んだり動画を観たりしても、どっぷり浸かる感覚になかなか入れなくて、つい(3)のことを考えてしまうんですよね。次は何を作ろうか、何を書こうか、と考える。どんな形でもいいから、成果物が残るような活動の方に気持ちが向く。
結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2021年10月12日 Vol.498より「活動と喜びの関係」
料理を作ったり、文章を書いたり、ホームページを作ったりと、創作に手を出しています。小さなものであっても生み出したときは感動します。
インプットとアウトプットは呼吸のようなものだと思っています。息を吸っては吐き、吐いては吸う。インプットしたらアウトプットしたくなるし、逆もしかり。本を読み、人と話し、音楽を聴き、いろいろなものを自分に取り込む。それが創作活動につながっていく感覚があります。