ピンときた言葉 小説

楽しみにして待つ

「あのね、マリラ。何かを楽しみにして待つということが、そのうれしいことの半分にあたるのよ」とアンは叫んだ。「そのことはほんとうにならないかもしれないけれど、でも、それを待つときの楽しさだけはまちがいなく自分のものですもの。リンドのおばさんは『何ごとも期待せぬ者は幸いなり。失望することなきゆえに』って言いなさるけれど。でも、あたし、なんにも期待しないほうが、がっかりすることより、もっとつまらないと思うわ」

Lucy Maud Montgomery「赤毛のアン」

素敵ことが起きそうなときのワクワクした気持ちは、たしかに嬉しいことの半分にあたると思います。


ハリーの決心

蒼白な顔に緑の目が燃えていた。「僕は今夜ここを抜け出す。『石』を何とか先に手に入れる」

「気は確かか!」とロンが言った。

「だめよ!マクゴナガル先生にもスネイプにも言われたでしょ。退校になっちゃうわ!」

「だからなんだって言うんだ?」ハリーが叫んだ

「わからないのかい?もしスネイプが『石』を手に入れたら、ヴォルデモートが戻ってくるんだ。あいつがすべてを征服しようとしていた時、どんなありさまだったか、聞いてるだろう?退校にされようにも、ホグワーツそのものがなくなってしまうんだ。ペシャンコにされてしまう。でなければ闇の魔術の学校にされてしまうんだ。それがわからないのかい?グリフィンドールが寮対抗杯を獲得しさえしたら、君たちや家族には手出しをしないとでも思っているのかい?もし僕が『石』にたどり着く前に見つかってしまったら、そう、退校で僕はダーズリー家に戻り、そこでヴォルデモートがやってくるのをじっと待つしかない。死ぬのが少し遅くなるだけだ。だって僕は絶対に闇の魔法に屈服しないから!今晩、僕は仕掛け扉を開ける。君たちが何と言おうと僕は行く。いいかい、僕の両親はヴォルデモートに殺されたんだ」

J.K.Rowling「ハリー・ポッターと賢者の石」第16章

この7年後ついにヴォルデモートを倒したハリーの原点はここにあると思います。ハリーの強い意志に感動しました。


最初はみんな

一生懸命やるのは大事だ。でも、もっと大事なことがある。自分を信じること。こう考えてみて。歴史上の偉大な人物も最初はみな僕らと同じ学生だったんだ。彼らにできたなら、僕らにもできる。

映画「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」


秘密

「クローディアに必要な冒険は、秘密よ。秘密は安全だし人をちがったものにするには大いに役だつのですよ。人の内側で力をもつわけね」

E.L.Konigsburg「クローディアの秘密」p220


静かな興奮

ジェイミーの興奮が外にふきだし、にやにやと部屋じゅう歩きまわるのに反して、クローディアの興奮は外にあふれ出ないで、しずかに流れていました。クローディアがびっくりしているのは、わたしにもわかりました。天使がこたえをだしてくれるとは思っていましたが、それは、どかんと鳴りひびくようなものであって、こんなふうにじわじわ浸みこんでくるものとは思っていませんでした。

E.L.Konigsburg「クローディアの秘密」p221


ときには

クローディアがいいました。「でも、フライクワイラーおばさま、人は一日に一つは新しいことを勉強したいと思わなくちゃいけないわ。あたしたちは美術館にいてさえ、そうしましたもの」

「いいえ」わたしはこたえました。

「それには同意できませんよ。あんた方は勉強すべきよ、もちろん。日によってはうんと勉強しなくちゃいけないわ。でも、日によってはもう内側にはいっているものをたっぷりふくらませて、何にでも触れさせるという日もなくちゃいけないわ。そうしてからだの中で感じるのよ。ときにはゆっくり時間をかけて、そうなるのを待ってやらないと、いろんな知識がむやみに積み重なって、からだの中でガタガタさわぎだすでしょうよ。そんな知識では、雑音をだすことはできても、それでほんとうになかのものを感ずることはできやしないのよ。中身はからっぽなのよ」

E.L.Konigsburg「クローディアの秘密」p225


おまつり

「おまつりというのは、」彼はサライにいって聞かせた。「稲光りみたいなものだな。それには歴史もなければ未来もない。ほんの一瞬、あらゆるものを光り輝かせる。それで終わりだ。そのつかの間の光のほかには何も残りやしない。稲光りそのものは、後世の人間が跡をふもうったって、何も残ってやしない。野外劇はね、サライ、芸術家にとっては稲光りみたいに荒々しく、無責任に、時間の中をジグザグにつっぱしるチャンスなのさ」

E.L.Konigsburg「ジョコンダ夫人の肖像」p34


不思議な感慨

不思議な感慨がOliveを包んでいた。それはこれまでの疲弊感と無力感一色の気持ちとまったく異なる、期待感にちょっぴり自信のようなものが混じった、しかし静かで落ち着いた、一言で言えない感情であった。

福原俊一「臨床研究の道標」p266


エアの創造

ことばは沈黙に
光は闇に
生は死の中にこそあるものなれ
飛翔せるタカの虚空にこそ輝ける如くに

沈黙があるから言葉はきわだって存在し
暗闇があるから光は存在し
死があるから生は存在する
何もない空に鷹が飛んでいるからこそ、それが輝いてみえるように

Ursula Kroeber Le Guin作「ゲド戦記」清水真砂子訳


イギリスの偉大さ

今朝のように、イギリスの風景がその最良の装いで立ち現れてくるとき、そこには、外国の風景が-たとえ表面的にどれほどドラマチックであろうとも-決してもちえない品格がある。そしてその品格が見る者にひじょうに深い感動を与えるのだ、と。

この品格は、おそらく「偉大さ」という言葉で表現するのが最も適切でしょう。今朝、あの丘に立ち、眼下にあの大地を見たとき、私ははっきりと偉大さの中にいることを感じました。じつにまれながら、まがいようのない感覚でした。この国土はグレートブリテン「偉大なるブリテン」と呼ばれております。少し厚かましい呼び名ではないかという疑いがあるやにも聞いておりますが、風景一つを取り上げてみましても、この堂々たる形容詞の使用はまったく正当であると申せましょう。

では、「偉大さ」とは、厳密に何を指すのでしょうか。それはどこに、何の中に見出されるものなのでしょう。この疑問に答えるには、私などよりずっと賢い頭が必要であるのは承知しております。しかし、あえて当て推量をお許しいただくなら、私は、表面的なドラマやアクションのなさが、わが国の美しさと偉大さを一味も二味も違うものにしているのだと思います。問題は、美しさのもつ落ち着きであり、慎ましさではありますまいか。イギリスの国土は、自分の美しさをよく知っていて、大声で叫ぶ必要を認めません。これに比べ、アフリカやアメリカに見られる景観というものは、疑いもなく心を踊らせはいたしますが、その騒がしいほど声高な主張のため、見る者には、いささか劣るという感じを抱かせるのだと存じます。

Kazuo Ishiguro「日の名残り」p41