夫が、批評家の東浩紀さん(通称:あずまん)のYouTube雑談をたまに見ているので、私も隣で一緒に聞くことがあります。私は批評や哲学にあまり詳しくないのですが、あずまんの話は面白くて勉強になるので夫と笑いながら楽しんでいます。あずまんの話を聞いてるいと「この人は真面目だなあ」と思います。ユーモアたっぷりに話されていますが、やはり根がすごく真面目なんだろうなと感じます。正義感が強いですし、人の意見を受け入れつつ自分なりの意見もしっかり持っている。たくさん学び、深く考えてこられたのでしょう。
かく言う私も、(自分で言うのも恥ずかしいですが)真面目な性格でして、中学~高校の頃はその性格を恥ずかしいと思っていたことを、あずまんの話を聞きながら思い出しました。真面目ってクラスや友だちの中でちょっと浮くじゃないですか。多少ふざけていたほうが溶け込みやすいし、真面目な話をする人なんてあまりいないし。自分の真面目な部分をなるべく人に見せないようにしていたと思います。
でも、大人になった今、「真面目もけっこう良いことじゃない?」と前向きに捉えられるようになりました。「不真面目はダメ」と言いたいのではなくて、「あんまり人には受けないかもしれないけど、やっぱり価値ある性質よね」と。真面目だからこそ葛藤する場面も多いのですが、そういうところも人間っぽくて好きだと思えるようになりました。また、同じような人を見ると微笑ましく、言葉には出しませんが「私はあなたのそういうところ好きよ。困難が多いかもしれないけど、頑張って」と心のなかでエールを送ってしまいます。
自分のあまり好きではない部分について努力して変われるのが一番理想的かもしれませんが、変えられなくても、「これはこれで良いんだ」と自分を受け入れる、そういう解もあり得るのだなと気づきました。コンプレックスを抱きしめる感覚です。
なぜ自分の真面目な部分を受け入れられるようになったのかは分かりませんが、いつのまにか自分の気持ちに折り合いをつけられるようになっていました。たくさんの本を読んだり、人と話したりして、「真面目な人は素敵」と思えるようになったからかもしれません。時間が解決してくれたのかもしれません。自分の本性は簡単には変えられないのだから、と諦めがついたのかもしれません。
今の私にあまり好きになれない部分があっても、「いつか将来、この部分もまるごと抱きしめられたらいいな」と楽観的に考えられるようになりました。
同じような悩みを持つ人の参考になれば幸いです。