2025-10-05 松平定信と源氏物語
2025-10-05 和歌は「敷島の道」、連歌は「筑波の道」
2025-10-05 松平定信と源氏物語
三宅香帆さんのXをパトロールしていたら、松平定信がとんでもない源氏物語ファンだったという話が出てきました。会社の自席でお弁当を食べながら、「うそやろ」と呟いてしまいました。
11:31 PM · Sep 28, 2025
松平定信、一度こうだと思い込んだら視野が狭くなるのオタクあるあるゆえに大変胸が痛いのですが、それはそれとして定信文学オタクエピソードで私が最も好きなのは「『源氏物語』全54帖を7回も書写し、源氏物語感想専用日記のタイトルに『今波恋』と名付ける」です、今は恋…。11:32 PM · Sep 28, 2025
↓の展示のサイト見てもらったらわかるのですが60代で源氏物語書写してたときは装丁特別版まで作ってたのですがめちゃくちゃ小さい豆本に書写してたらしくておもろい、なぜこんな…細かいこだわりを…やってしまうのか(解、オタクだから…)
定信は生涯でなんと7度も源氏物語全巻を自筆で書き写しているのです。7回読破でなく、7回も全文を書いたのです。しかも、そのサイズが驚くほど小さいのです。この写真の「細写 源氏物語」は、定信が61歳のときに写したものですが、縦横わずか約5センチ強の〈豆本〉です。年齢からすると、せっかく書いたのに自分では老眼で読むことができない本だった可能性すらあります。自分で読むためや、人に読んでもらうためなら、このサイズで書き写すことはないはずです。いったい、松平定信はなにを考えていたのでしょうか?
2025-10-05 和歌は「敷島の道」、連歌は「筑波の道」
和歌を「敷島の道」、連歌を「筑波の道」と呼ぶそうです。敷島とは大和国、日本を指す。筑波は茨城県の筑波山ですね。面白い言い方だと思いました。
なぜ筑波山が連歌発祥の地なのかというと、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)と御火焼之老人(みひたきのおきな 稚き童という説も)がお互いに詠み合った最初の問答形式の連歌に詠み込まれたのが筑波山だったからです。
にいばりつくばをすぎていくよかねつる 日本武尊
(新治、筑波を過ぎてから幾夜旅寝をしたことだろう)かがなべてよにはここのよひにはとをかを 御火焼之老人
(日数を数えると九泊十日でございます)最古の連歌撰集の書名は『菟玖波集』(二条良基編)です。
また、和歌を「敷島の道」というのに対して、連歌を「筑波の道」と言います。
芭蕉も『鹿島紀行』で、「和歌なくばあるべからず、句なくばすぐべからず。まことに愛すべき山のすがたなりけらし。」(筑波山は、和歌や句を詠まないで通り過ぎるべきではない。まことに愛すべき山の姿であることだよ。)と筑波山のことを特別な山として扱っています。
出典:連歌発祥の地 筑波山吟行
・JR東日本の高級列車は「四季島」は、おそらく「敷島」から来ているのでしょうね。