私は大学生の頃から「戦争」というテーマにずっと興味を持っていて、折りに触れ本を読んだり映画を見たりしています。
興味を持ったきっかけはいくつもあります。日本人として、学校教育やメディアを通して戦争の教訓を学ぶ機会が多かったことは理由の一つです。しかし、とりわけ私の心を揺さぶったのは、作家・山崎豊子さんの言葉(第63回毎日出版文化特別賞受賞あいさつ)、それから2017年にノーベル平和賞を受賞したICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)の事務局長・ベアトリス・フィン氏の言葉です。
それ以来、「日本以外の国から見て第二次世界大戦とはどのようなものだったのか」「第二次世界大戦以外の戦争はどのようなものだったか」「戦争はどのような悲しみをもたらすのか」「どのような力が働いて戦争が起きるのか」「武器開発・軍拡・軍縮の歴史」「どうすれば戦争をなくせるか、減らせるか」などに焦点を置いて、主に過去の戦争について学び考えてきました。
私は高校で理系を選択し社会科は地理を選んだので、日本史・世界史は中学で学んだ程度の知識しかありません。そのため、このテーマについて学び始めた当時はもちろん、今でも初めて知ることばかりで「途方もないものに興味を持ってしまったな」と思っています。
2021年に私のWebサイトに、これまで読んできた本などを紹介する「戦争と平和」というページを作りましたが、まだ内容を整理しきれていませんし、書きたいことはたくさんあるのに書けていません。「腰を据えてページを更新したいな」と月に数回は思うものの工事中のまま放置しています。
「なぜ私はこんなこと一生懸命やってるんだろう」とすごくモヤモヤした気持ちになるんですよ。戦争について知れば知るほど、問題はとてつもなく大きくて、核廃絶なんて実現不可能だと感じますし、私一人が何かを変えられるなんて思えなくなります。それなのになぜ私はこのテーマに固執するんだろう、と自分でも分からないんですよ。
私はWebサイトに読んだ小説の感想を書いたり、YouTubeで情報を発信したりしています。自分の心の声が「なぜ情報発信なんかしているの?何のお金にもならないのに」と聞いてきたら「楽しいから」で一蹴できるんですけれど、心の声が「なぜ戦争について学んだり考えたりするの?何の解決にもつながらないのに」と聞いてきたら「うっ」と言葉に詰まり立ち止まってしまいます。
その問いに対する明確な答えは今も出せていませんが、ある本に出てくる一節を思い出して「戦争について学んだり考えたりしても状況を何も変えられないかもしれないが、私にとっては意味がある」と反論するようにしています。私が尊敬する作家・リュドミラ・ウリツカヤが、小説「通訳ダニエル・シュタイン」の中で執筆の大変さをこぼすシーンです。
大きな作品はいつもそうですが、この作品にも消耗させられています。実現困難な課題だと分かっていながら、どうしてこんなものに手をつけてしまったのか、自分自身にも貴女にも説明ができません。私たちの意識というのは、解決できない課題を否定するようにできているのです。もしも課題があるのなら、解決法も存在するはず、と。その課せられた条件においては、この問題は解答を持たない…、という救済的公式を知っているのは数学者だけです。 でも、もし解決法がないのだとしても、その問題自体を眺めてみるのは良いことだと思います。ぐるっと回って、見るのです―前から、後ろから、横から、上から、下から。なるほどそれはこういう問題なのか、解決するのは不可能だと、自分の目で見て納得するのです。
通訳ダニエル・シュタイン 上巻p317
戦争をさまざまな方向から自分で眺めたうえで解決不可能だと納得するためにやっているのだ、と言い聞かせています。願わくは、私が書く「戦争と平和」のページが誰かに何らかの良い影響を与えてほしいですが、たとえ私の行動が具体的な変化をもたらさなかったとしても、私自身にとって意味があるのだと考えるようにしています。
今年か来年か、そのうち時間を取ってページを整理したいと思います。
余談「赤い自分と青い自分」
自分の心の声が「なぜ戦争について学んだり考えたりするの?何の解決にもつながらないのに」と聞いてくるという話をしましたが、私の中には2つの人格がいると感じます。情熱的で理想を追い求める赤い人格と、冷静な青い人格です。2つの人格があるといっても、分裂しておらずしっかり統合されているので日常生活に問題はありません。
ただ、「私は〇〇をやるべきなんだ」「〇〇をやりたい」と強く主張する赤に対して、青が「やる意味はあるの?」「どうやって実現するの?」と冷静に突っ込んでくるので、赤はブレーキをかけられて気持ちが萎えてしまうんですよね。でも青は、本当に取り組むべきことなのかを見極めたうえで、赤の情熱を実現する方法や、習慣に組み込む方法を考えてくれるので、参謀やコーチような大事な役割なんです。赤の情熱に水を差す場面があっても、2つの人格は良いコンビだと捉えています。
こんなふうに2つの人格がいると感じるのは私だけなのかしら、と考えることがあります。あなたはどうですか?