1 物語の役割
10 ROIC経営
11 三銃士
<感想>
・大学生のときに読んで感動した本、物語についての考察です。再読しても新鮮な感動を覚えました。
人間の孤独を書こうとか、家族の絆について書こうというような、非常にわかりやすい一行で書けてしまう主題を最初に意識してしまったら、それは小説にならないのです。言葉で一行で表現できてしまうならば、別に小説にする必要はない。ここが小説の背負っている難しい矛盾ですが、言葉にできないものを書いているのが小説ではないかと思うのです。(p65)
私は、自分の小説の中に登場してくる人物たちは皆死者だなと感じています。すでに死んだ人々です。だから、小説を書いていると死んだ人と会話しているような気持ちになります。それは、恐ろしいとか気持ち悪いという感触ではなく、非常になつかしい感じです。自分はまだ死んでいないのに、なんだか自分もかつては死者だったかのような、時間の流れがそこで逆転するような、死者をなつかしいと思うような気持ちで書いています。(p67)
小説を書いているときに、ときどき自分は人類、人間たちのいちばん後方を歩いているなという感触を持つことがあります。人間が山登りをしているとすると、そのリーダーとなって先頭に立っている人がいて、作家という役割の人間は最後尾を歩いている。先を歩いている人たちが、人知れず落としていったもの、こぼれ落ちたもの、そんなものを拾い集めて、落とした本人さえ、そんな物を自分が持っていたと気づいていないような落とし物を拾い集めて、でもそれが確かにこの世に存在したんだという印を残すために小説の形にしている。そういう気がします。(p75)
・小川洋子さんの「博士の愛した数式」は、高校生の時に読みました。記憶が80分しかもたない数学者と、家政婦、家政婦の一人息子、3人の関わりを描いた心温まるお話です。当時、私は数学が好きだったので、物語に出てくる数字の美しさに魅了されました。皆さんもぜひ読んでください。
・小川洋子(博士の愛した数式)と、あさのあつこ(バッテリー)は岡山県が生んだ稀代のストーリーテラーだと思います。
2「DX時代の経理部門の働き方改革のススメ」中尾 篤史
<キーワード>経理 DX<感想>
無駄・無理、そして不正をなくすための考え方を知ることができました。理想論だけではなく、現場の気持ちも分かったうえで、改善のメリットを語っているのが良かったです。
3「経理担当者のための監査対応のコツ」内田 正剛
<キーワード><感想>
・監査人とやり取りをすることは少なかったものの、やはり経理にいると問い合わせを受けることがあるので、今後のために読んでみました。分かりやすくまとまっており、サクッと読めた。
・監査人の仕事のやり方・組織・心理などが見えてきたのが良かったです。
・事前に準備する、聞かれたことに答え不要なことは言わない、の基本姿勢を心がけます。
4「Arduinoで学ぶ組込みシステム入門(第2版)」猪股 俊光
<キーワード>Arduino・Raspberry PiやArduinoを使った電子工作をやってみたいと数年前から思っていたので、初心者向けの体系的な本として読んでみました。「何か作ってみよう」と思い立つほどではありませんでしたが、読み物としてすごく面白かったです。マイクロコンピュータの構成が分かったし、ソフトウェアについて興味が深まりました。
・第5章のモデルベース開発は、私にとっては初めての考え方で新鮮でした。組込みシステムを扱わない人にも役に立つ考え方だと思います。モデリングに関する本を読んでみたくなりました。
例:組込みソフトウェア開発のための構造化モデリング
・特に面白かった章
2.組込みシステムのハードウェア
3.組込みシステムのソフトウェア
5.組込みシステムのモデリング
6.組込みシステムの実装法
7.組込みソフトウェアの作成技法
5「すらすら税効果会計〈第3版〉」三林昭弘
<キーワード>税効果会計<感想>
・説明の順序がいいです。次々に湧いてくるこちらの疑問に答える形でトピックが紹介されます。
・本編だけでなく、コラムも勉強になりました。
6「フローチャートでわかる! 収益認識会計基準」内田正剛
<キーワード>収益認識会計基準<感想>
・経理財務にいると「検収基準」「本人代理人」「有償支給」など、収益認識に関する単語を聞くことがあったので、一応勉強しておこうと思って読むことにました。
・トピックがてんこ盛りですべてを理解したとは言い難いが、全体像を掴めたのは良かったです。難解な用語などはなく分かりやすかったのですが、ケースや論点がとにかく多くて辟易します。
・特に勉強になったのは、「変動対価」「履行義務 一時点または一定期間」、「本人・代理人」、「ポイント制度」、「ライセンス」、「有償支給」。
・本書では何度もポジションペーパー(会社が決定した会計処理や開示について、その根拠を説明した文書)が出てきました。ポジションペーパーの書き方の本があるので、実務に携わることがあれば読むかもしれません。「収益認識のポジション・ペーパー作成実務」高田康行
7「為替リスク管理の教科書」金森 亨
<キーワード>為替リスク管理<感想>
・グローバル企業で業績管理をしていたものの、為替に関する知識が乏しく会話についていけないことがあったので勉強のため読むことにしました。
・リスク管理の全体的な考え方から、具体的な手法まで網羅されているのが良かったです。第5章でケースごとに検討内容と実施事項を説明しているので、実務のイメージを持てました。
・改訂版が出ているので、これから読む方はこちらをどうぞ。
<感想>
・実用的な本ばかり読んでいたので、気分転換に軽い小説を読むことにしました。大学時代に読んだ「あしながおじさん」の続編です。
・とても良かった。
・サリーが出した手紙だけしか読んでないのに、これほど孤児院の様子がありありと立ち現れるのはなぜでしょう。手紙といえばアンがギルバートに送った手紙で物語が進んでいく「アンの幸福」が最高傑作だと思っていましたが、いやはや、本作はこれに並びます。
・仕方なく引き受けた孤児院の院長のお仕事に徐々に夢中になっていく姿、敵対していたマクレイ先生と協力関係に変わっていく過程、サリーの尽力によって変貌を遂げるジョン・グリア孤児院。展開がすばらしくページをめくる手が止まりませんでした。
・「きっとこうなるんだろうな。そうなってほしいな」と思いつつ、そこまでの道のりが楽しい。結末を予想できるのに面白いとは、ウェブスターは上手(うわて)です。
・あとがきによると、作者ジーン・ウェブスターはお金持ちの娘で孤児院とは無縁だったそうです。そのような人がこれだけ孤児院を描けるとは驚くべきことです。もちろん、私も当時の孤児院がどんなものだったのか知らないので、描写が正しいのか判断できませんが、本当にあると思わせるのはすごいと思います。
・翻訳も良かった。「続あしながおじさん」の翻訳はいくつかあり、サンプルを読み比べて北川悌二さんにしました。北川氏の翻訳作品は初めて読みます。この方の翻訳は古風で柔らかく、私好みです。サマセット・モームやチャールズ・ディケンズも翻訳しているそうなので、また読んでみたいです。
9「あの図書館の彼女たち」ジャネット・スケスリン・チャールズ
<キーワード><感想>
・大学生のころから戦争というテーマが頭から離れず、折に触れ、戦争に関する本を読んでいます。本作品は舞台がナチス占領下のパリという点に興味をもち、読むことにしました。
・印象的なお話でした。パリがナチスに占領されていた事実は知っていましたが、それがどんなものかは知りませんでした。パリにはアメリカの図書館があり、主人公のフランス人女性・オディールはこの図書館で司書として働いています。不利になっていく戦況、親しい人が戦争に行ってしまう不安、占領下でユダヤ人や敵性外国人が一人ずつ駆られていく厳しさ、食糧不足、奪われる図書館の自由、変わっていく人々。少しづつ苦しくなっていく状況が読んでいて辛かったです。占領下で、オディールが自分の行為を激しく後悔したり、人々がすっかり変わってしまうのを見ると胸が痛みます。戦争もなく平和であれば彼らは善良でいられたはずなのに。貧しさや不遇な状況は生きるのを困難にします。
・まるで映画を見ているように、当時のパリや主人公の心情がリアルに感じられました。
・2024年に読んだ本の暫定1位です。これを超える作品に出会えるのか。
<感想>
・転職先で全社の業績管理を担当することになり、ROICの勉強として読みました。指標の計算方法だけでなく、目標設定や、施策とその効果についても説明があり、内容は実践的です。
・続編があるので、機会あれば読んでみたいと思います。「ROIC経営 実践編」
<感想>
・デュマの代表作「三銃士」を読みました。上中下の三巻構成で長いのですが物語にグイグイ引き込まれ、Kindleのページを夢中でめくっていました。ローガン・ラーマン主演の「三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船」を見たことがありますが、ストーリーもキャラクターも映画よりずっと面白かったです。アトス、ポルトス、アラミス、そしてダルタニャンの個性が詳しく描かれています。それ以外の主要人物や端役も個性豊かに描いており、物語に深みが出ます。
・でも、圧倒的な存在感で私を引き込んだのは敵役のミラディー。果てしない野心、人を惑わす美貌、強い執念。まさに悪魔の化身としか思われない。敬虔なキリスト教信者の士官フェルトンを惑わすシーンは息を飲みました。
・女性の狂気といえば、サマセット・モームの短編「手紙」を思い出します。これも印象的でした。
・三銃士には続編があり、今回読んだのはダルタニャン物語の第1部にあたります。第2部や第3部、またデュマのもう一つの代表作「モンテ・クリスト伯(岩窟王)」もいつか読んでみたいです。
ダルタニャン物語
【第1部】三銃士
・1巻 友を選ばば三銃士
・2巻 妖婦ミレディーの秘密
【第2部】二十年後
・3巻 我は王軍、友は叛軍
・4巻 謎の修道僧
・5巻 復讐鬼
【第3部】ブラジュロンヌ子爵
・6巻 将軍と二つの影
・7巻 ノートル・ダムの居酒屋
・8巻 華麗なる饗宴
・9巻 三つの恋の物語
・10巻 鉄仮面
・11巻 剣よ、さらば
12「O・ヘンリー ニューヨーク小説集」O・ヘンリー
<あらすじ>本書を読めば、烈しく変貌する20世紀初頭のニューヨークが浮上してくる。O・ヘンリーの新しい読み方ができるように編集された画期的な小説集。全作品についた小解説とともに、100年前のニューヨークへタイムスリップ!<感想>
・私はO・ヘンリーが大好きです。短くてウィットに富んだ短編は、仕事の休憩時間に読むのにぴったりでした。
・私はやはり「整えられたともし火」(大久保康雄氏翻訳の題名は「手入れの良いランプ」)が好きですが、その他の作品もとてもよかったです。
二十年後に(After Twenty Years)
戸口の男がマッチを擦り、葉巻に火をつけた。その明かりに照らされて、青白くてエラのはった顔が浮かんだ。
振り子(The Pendulum)
彼女が戻ったら、すべてを変えよう。いままでないがしろにしてきたことの埋め合わせをしよう。彼女のいない人生など、何の意味がある?
天窓の部屋(The Skylight Room)
「さようなら、ビリー」かすかにつぶやいた。「何百万マイルも離れたところにいて、いちどもまたたいてくれなかった。でも、ずっとそこにいてくれたのよね、暗闇以外になにも見えない時でも……何百万マイルも先で……さようなら、ビリー・ジャクソン」
千ドル(One Thousand Dollars)
「千ドルは競馬ですったんだ。では、ごきげんよう、おふたりさん」
多忙な株式仲買人のロマンス(The Romance of a Busy Broker)
その繊細で甘いライラックの香りに仲買人の動きが一瞬とまった。
ひとときの理想郷(Transients in Arcadia)
ブロードウェイに、避暑地の斡旋業者にいまだ発見されていないホテルがある。
整えられたともし火(The Trimmed Lamp)
未知の素晴らしい「獲物」を追いながら野宿をし、干からびたパンを食べ、ベルトを日々きつくしていった。その顔にはかすかに兵士のような優しげな厳しい笑みが浮かんでいて、まさに覚悟を決めて男を追うハンターだった。店が彼女の森だった。幾度となくライフルを構え、立派な角の大物に狙いを定めた、しかし、いつも胸の奥底からの的確なーたぶんハンターとしての、たぶん女性としてのー直感が引き金を引くことをとどまらせて、次の獲物へと向かわせたのだった。
・作品ごとに解説がついており、お話を楽しんだあとに読むと、当時のニューヨークの様子がわかって大変面白い。巻末の解説は全体を包括した解説となっているのでここで紹介します。
解説
O・ヘンリーは、日本ではよく知られているアメリカの作家のひとりだと言っていいだろう。(中略)しみじみと心温まる、すこしセンチメンタルな、人生の真実をかなり突いたところもある。しかし最後にはみごとなオチが待っている「ちょっといい話」を書かせたら右に出る者がいない短編の名手である、と、その評価もいつしかできあがってきている。アメリカにおいても、ほぼ同様の評価がされていて、話の最後に用意されているオチについては「ツイストエンディング(ひねりのある終わり)」という言い方でずっと語られてきた。
O・ヘンリーがそんな短編を書いていたのは、二十世紀の初めの十年である。そのわずか十年間に三百五十編くらい(実数は不明)の短編を書きまくっていた。1902年から1906年までは、「ニューヨーク・ワールド」という新聞の日曜版に毎週書いていたので、週に一編のペースで書いていた。いや、それ以外の新聞や雑誌にも書いていたから、週に最低でも一編は書いていたというのが正しいか。
(中略)二十世紀の初めの十年はアメリカが急速に過激に変貌し始めた時期である。十九世紀前半のアメリカは、ヨーロッパと比べれば、まったく新興の、まだまだ田舎同然の地域だったが、南北戦争後の、十九世紀後半の好景気、というか金ぴか時代を経たあたりからがぜん経済的に活気をみせはじめ、いい意味でも悪い意味でも、なりふり構わずぐんぐん前に突き進んでいくアメリカの姿が世界の注目を浴びるようになっていた。そんな変貌ぶりのとりわけ目立っていたのが都市で、なかでもニューヨークは際立った。
(中略)デパートも、どんどん豪勢になったが、顧客は、これまた金持ちだった。庶民が気楽にショッピングに出かけるようなところではなかった。しかし、それは言い換えると、デパートに行けば金持ちと知り合いになれるかもしれないということでもあったから、玉の輿に乗るチャンスを狙う若い女性のあいだではデパートの店員、すなわち、ショップガールが人気の職業になった。
(中略)言うまでもなく、ショップガールがみな玉の輿に乗れるわけではない。しかし、仕事をもつということに対して女性が自覚的になったのがこの頃で、フェミニズムの第一期がこの時期でもある。とはいえ、女性が仕事をもって自分でお金を稼ぐというようなことは地方ではなかなかむずかしかったから、野心のある女性は都会に出てきた。そんなひとりであるドロシー・リチャードスンが、地方からニューヨークに出てきて仕事探しに奔走した自分の体験を綴った『長い一日 ニューヨークのワーキング・ガールの話』という本は、1905年に刊行されると、ベストセラーになっている。その本に仕事探しの情報を求めようとした若い女性たちが多かったということだろう。
「天窓の部屋」や「整えられたともし火」には「ワーキング・ガール」という言葉が何度か出てくるが、その時期の仕事を求める女性には切実な言葉だったのだ。リチャードスンがニューヨークに着いて最初に住んだ部屋は天窓のある部屋である。O・ヘンリーの「天窓の部屋」のタイピストも天窓のある部屋でがんばって暮らしている。ひょっとして、リチャードスのベストセラーにO・ヘンリーはヒントをもらったのではないか、とも思わされる一致だが、天窓の部屋程度のところにしか、多くの独身のワーキング・ガールは住めなかったということはところがきっと真実なのだろう。
高架鉄道の音がいつもどこからか聞こえてきたのがその頃のニューヨークのマンハッタンだが、地下鉄が登場するのもこの時期である。高架鉄道も混雑ぶりは「振り子」の冒頭に描かれ、目新しい地下鉄へのみんなの関心ぶりは「マディソン・スクエア千夜一夜物語」に登場する雄弁なシェヘラザードの言葉にもあられてくる。
(中略)さらに、高層ビルが、ユニークなものから豪華なものまで、つぎつぎ出現し始めたのも、この時期である。カミソリ型のフラットアイアン・ビルが建ったのが1902年で、その意表をついた形状ゆえ、街の話題になっていた。O・ヘンリーも「吾輩は駄犬である」や、本書には入っていないが「円を四角に」にそれを登場させている。ただし、ビルの名前は出さずに、住所だけを示すという、憎らしいやりかたで。
豪華なほうはホテルである。名門となった大ホテルの数々はこの時期にあらわれた。外の世界とはまったく切り離されたかのような異次元の空間を演出するべく設計されたホテルばかりである。「ひとときの理想郷」のホテルは、まさに、そういったホテルをモデルにしている。
また、異次元の空間と言ったらコニー・アイランドがある。ニューヨーカーたちが遊びに出かけていく巨大な遊園地だが、いまでいうところのテーマ・パークだ。 「あさましい恋人」では愉快なオチとして言及されているし、いろいろの作品でこの遊園地はしょっちゅう話に出てきている。
まったくO・ヘンリーはこの時期のニューヨークの風景をどさどさと取りこんでは話を作っていたのである。新聞に書いていた短編の数々を一冊にまとめた本を1906年出したとき、そのタイトルを『四百万』としたが、それはそのときのニューヨークの人口だ。かれの作品が膨張して活気づくこの都市とそこに生きる人々へのオマージュであるのがよくわかる。
13「桜井政博のゲームについて思うこと 2」桜井政博
<あらすじ>週刊ファミ通 連載第51回・第100回を加筆修正して掲載し、いまだから明かせる後日談も収録。1巻で好評だった企画書掲載では、発売されたばかりの『そだてて!ムシキング』や『メテオス』の企画書が見られちゃう! さらにコラムと連動するGame Developers Conferenceでの講演再現など、ゲームファンはもちろん、ゲームを知らない人も楽しめます!!<感想>
・本シリーズの1巻が面白かったので、続編を読むことに。こちらも面白かったです。
・それにしても、ゲームをディレクションする忙しい日々を送りながら、プライベートで山のようなゲームで遊び、毎週1,500文字近いコラムを書くとは、桜井さん恐るべし。私なんかニュースレターを毎月一つ書こうと決めていたのにサボっている有り様。恥ずかしい…。桜井さんは忙しくも充実した日々を送っているからこそ、様々なトピックについて語れるのかもしれませんね。見習います。
・2004-2005年ごろに書かれた連載なのに、20年経った今読んでも楽しめるとは興味深い。扱っている内容が「面白さとは何か」「面白いものを作るには」といった普遍的な内容だからではないでしょうか。ゲームに限った話ではなく、もっと広い分野で参考になるお話だと思います。
・私は2003年ごろにゲームを始めたクチです。本書には、任天堂DSなど私世代のゲームが出てきて懐かしく思いました。ちなみに、私のゲーム歴はこちら。
・以下、特に面白かったコラムです。
14「ジャック・ロンドン ハワイ短篇集」ジャック・ロンドン
<あらすじ>短篇小説の名手といわれた人気作家ジャック・ロンドン。彼がかつて長期滞在したハワイが舞台の短篇集『The House of Pride』全6篇を収録。白人の到来と西洋文化の流入によって生まれたハワイ社会のひずみ、先住民の苦悩や悲劇が、ロンドンの鋭い観察眼と筆力により、現実味たっぷりのドラマとして描きだされている。100年前のハワイ社会がまざまざとよみがえる。<感想>
・どの短編も素晴らしく、読み終えるのが惜しかったです。
・ハワイには行ったことがないのですが、さわやかな風、豊かな自然、のんびりとした雰囲気が感じられ、心はバカンスに行った気分になりました。サマセット・モームが南国を舞台に書いた短編や長編をいくつか読んだことがあるのですが、あのときに似た感覚を味わいました。
・ハワイの人種の感覚や歴史が垣間見え、勉強になりました。白人、ハワイ人、中国人・日本人の立場の違い。ハンセン病については「かつてはそういう病気があって、患者は差別されていた」という程の知識しかありませんでしたが、「コナの保安官」を読み、当時ハンセン病を宣告されることの恐ろしさをリアルに感じました。そういえばジブリ映画「もののけ姫」、松本清張原作の映画「砂の器」でもハンセン病の差別的な扱いが描かれていましたね。
・「アロハ・オエ」
サンブルック上院議員も、娘のことをちゃんと見ていれば気づいたはずだーほんのひと月ほど前にハワイに連れてきたときはまだ十五歳の少女だった娘が、ハワイを去ろうとしているいま、ひとりの女性に成長しつつあることに。
ハワイの太陽には、人を成熟させるなにかがある。ドロシー・サンブルックも、とりわけ成熟をうながす環境で、その陽射しをまともに浴びてきた。ほっそりとしたからだつきと色白の肌、そして青い目をしたドロシーは、読書に没頭して、そこから人生を学ぼうとあくせくすることに退屈しきっていた。 しかしそれは、ひと月前の彼女の姿だ。いまの彼女は、退屈するどころか目をらんらんと輝かせ、陽射しを浴びて頬をほんのり色づかせていた。からだは女性らしい丸みをおびはじめている。この一か月間、本には見向きもしなかった。本から人生を学ぶより、もっと楽しいことを見つけたのだー馬に乗り、火山に登り、波に乗る。熱帯の血潮が流れこみ、熱気と色彩と太陽が彼女をはつらつと光り輝かせていた。
・「誇り高き家系」
ジョー・ガーランドの顔から、ぎこちなさと恥じらいがふっと消えた。両者の出生と立場が入れ替わったのだ。
「ここを出ていけと?」ジョー・ガーランドが強い口調でいった。
「出ていって、二度と戻ってきてほしくない」とパーシヴァル・フォードは答えた。
その瞬間、ほんのつかのまパーシヴァルは、弟が山のようにそびえ立ち、自分が顕微鏡でなければ見えないほどちっぽけな存在になったかのように感じた。人は自分の真の姿を見たくはないものだし、自分自身にいつまでも目を向けてはいられないものだ。しかしそのほんの一瞬のあいだだけ、パーシヴァルは自分と弟を真実の視点でとらえていた。しかしつぎの瞬間には、無味乾燥な飽くなきエゴによって感情を抑えこんでいた。
頑なな主人公が、一瞬だけ見方を変えるシーン。アガサ・クリスティ作「春にして君を離れ」を思い出しました。
周りから「考え方が偏っている」と思われている人であっても、本人はそれが真っ当だと思っているものです。私が正しいと思っていることも、実は思い込みに過ぎないのかもしれません。「正しさ」や「常識」とは何なのだろう、確かな正しさがないのだとすれば何を拠り所に生きていけばいいのだろう、と時々考えます。
・「コナの保安官」
わたしはバナナとレフアの木の合間から、グアヴァの茂みの先に視線をやり、三百メートルほど下方の静かな海をながめた。沿岸を進む小さな汽船で到着して以来、わたしはカドワースの家で一週間過ごしていたが、その間、その穏やかな海を荒らすほどの風は一度も吹いたことがなかった。もちろん多少の風が吹くことはあったが、常夏の島々の合間につねに吹きつける、ごくやわらかな西からのそよ風にすぎなかった。風ともいえない、吐息のようなものだー静かに眠る地球が発する、長々とした、うららかな吐息。
「まさしく別天地だな」とわたしはいった。
「ここでは日々が変わることなく過ぎていく。しかも、楽園の日々だ」と彼が応えた。「なにごとも起こらず、暑すぎることもなければ、寒すぎることもない。いつだって、ちょうどいい陽気なんだ。大地と海が代わるがわるに吐息を吹きかけていることに、気づいたか?」あの心地よいリズミカルな息づかいには、たしかに気づいていた。朝になると、渚で生まれた潮風がゆっくりと海に向かって広がると同時に、このうえなくやわらかく、そっと、そのさわやかな空気を臨地に吹きかける。潮風はその気まぐれな口づけで長いさざ波をゆらゆらと動かしては変化させ、かすかに蹴った海の上で戯れる。そして夜になると、海の吐息が消えて天国のような静寂が訪れ、やがてコーヒーの木やモンキーポッドの木の合間にそっと吹きかける大地の吐息が聞こえてくる。
ハワイの穏やかな気候が感じられる良い描写ですね。
ライトが腹を立てるところは、それまで何度か目にしたことはあったが、そのときほど怒り狂ったところは見たことがなかった。知ってのとおり、ハンセン病というのは、ここでは冗談の種にしていいようなことではない。あいつは床をひとつ飛びしてカルナののどにつかみかかると、やつを椅子から引きずりだした。ひどく乱暴に揺さぶったものだから、そのハパ・ハオレの歯ががちがち鳴るのが聞こえたよ。
「どういう意味だ?」とライトが詰めよった。「はっきりいえ、さもないと、絞め殺すぞ!」
ほら、西欧では、笑顔でごまかしでもしないかぎり伝えられない言葉というのがあるだろう。それはハワイ諸島にいるわれわれにしても同じなんだが、ここの場合、それはハンセン病に関連する言葉にかぎられる。
カルナがどういう男であれ、決して臆病なやつではなかった。ライトがのどにかけた手から力を抜いたとたんに、やつははっきりこういったー
「ああ、どういう意味だか教えてやる。おまえ自身、ハンセン病患者だってことだよ」
15「私たちの真実~アメリカン・ジャーニー~」カマラ・ハリス
<あらすじ>カマラ・ハリスはアメリカ合衆国副大統領。アラメダ郡地方検事補としてキャリアをスタートさせたのち、サンフランシスコ地方検事に選出される。カリフォルニア州司法長官時代は、多国籍ギャング、大手銀行、大手石油会社、営利目的の大学を起訴し、医療保険制度改革法への抵抗と闘った。また、小学校の無断欠席問題の解決に尽力し、刑事司法制度における人種差別の現状を明らかにしようと、全国に先駆けてオープン・データ・イニシアティブを立ち上げ、警察官を対象に潜在的偏見に対処するための研修を実施した。黒人女性として史上二人目の上院議員に当選し、女性初、黒人初、インド系アメリカ人初の副大統領となったハリスは、刑事司法制度改革、最低賃金の引き上げ、高等教育の無償化、難民および移民の法的権利保護に取り組んでいる。<感想>
・カマラ・ハリス氏の自伝。2019年頃に執筆されたとのことなので、彼女が副大統領に就任する前に書かれたようです。もうすぐアメリカ大統領選があるからでしょう、本屋さんで本書が平積みされていました。何気なく手にとってパラパラめくっていところ「面白そう」と直感しました。
・彼女の政策方針についても語られていますが、中心は彼女の個人的な体験です。そこがとても良かったです。育ってきた環境や巡り合った人々も印象的で親近感を覚えました。
・文章からは強い正義感が感じられました。私は普段、正義について関心が高いわけではありませんが、正義や公正、平等、差別について話を聞くと胸が熱くなります。The Mothというストーリーテリング企画でThe Justiceというお話を聞いたときに近い感動を覚えました。
・彼女の姿勢や考え方には大いに刺激を受けました。彼女は一人一人に人生があることをよく理解しています。司法や政策が個人に与える影響を具体的にイメージしている。その想像力は素晴らしいと思います。
・彼女は徹底的に努力するタイプ。手を抜かずにやりきる、タフな印象です。
・アメリカについて日本ではよくニュースが取り上げられるのに、彼女が話した事実の数々は私が知らないもので、アメリカという国について大変勉強になりました。決して完全な国ではなく、たくさんの問題を抱えているのが見えてきて、意外に思いました。
・印象に残ったところ
この本は政策綱領をうたっているのでも、ましてや五十か条計画を発表しているわけでもない。ここには私自身の、そしてこれまで私が出会った多くの人々の考えや視点、人生のストーリーが収められている。
私はそこからいちばん近いスーパーマーケットに車を走らせた。土曜の朝、食品売り場が混雑する時間帯だ。駐車場に入り、数少ないスペースを見つけて車を停めると、アイロン台、ガムテープ、そして、車に投げ入れては取り出してを繰り返したために少しくたびれた選挙運動用ののぼりをつかんだ。 公職への立候補に華やかなイメージを抱いている人にはぜひ、アイロン台を抱えて駐車場を大股で歩く私の姿を見てもらいたかった。
長いあいだ司法に携わるなかで、暴力の被害者が数年後には加害者となって裁判に現れるのを、私は嫌というほど見てきた。犯罪多発地域で育つ子どもたちは、戦争地帯で育つ子どもと同じぐらいPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症する率が高かった。一八歳になるまでに六回も里親が変わった子どもたちが、劣悪な環境を渡り歩き、そこから抜け出す見込みもなく、やがては刑事司法制度によって逮捕されるのをてきた。生まれた環境や住む地域が悪かったというだけで、将来に希望がないと決めつけられる子どもたちを見てきたのだ。検事補としての務めは、犯罪者に責任を果たさせることだった。だが、刑事司法制度のほうには子どもたちやそのコミュニティに対する責任はないのだろうか。
責任をとる代わりに、制度は大量収監に舵を切り、ただでさえ貧しいコミュニティをいっそう荒廃させた。アメリカは刑務所の収監人数が世界で最も多い国である。二〇一八年、州および連邦刑務所の収監者数は合計で二一〇万人を超えた。大局的な視点でいうと、この数より人口が少ない州が一五もある。大勢の人たちが麻薬戦争によってそのなかに引きずり込まれた。その結果、刑事司法制度はさながら工場の組み立てラインと化した。私はそれを間近で見ていたのだ。
キャリアの最初のころ、私は刑務所に続く橋(入り口)として知られるアラメダ郡地方検事局に赴任した。その小さなオフィスでは検察官たちが数百件もの麻薬事件を扱っている。そうした事件の当事者には当然区悪犯もいて、子どもにドラッグを売ったり、無理やり売らせたりする密売人もごまんといる。しかし、それとは異なるケースもあまりにも多かった。コカインの塊をいくつか所持していただけで逮捕された男性。薬物を摂取し家の玄関に座っていて逮捕された女性。
もちろんそれらもまた犯罪だが、起訴するのも痛ましいケースだった。街の浄化を急ぐあまり、私たちは公衆衛生の問題を犯罪として扱った。そして、治療や防犯に焦点を当てなかったがゆえに、コカインは死のウイルスのごとく蔓延し、人々を襲い、都市を次々と燃やし尽くした。
(中略)
思うに、進歩的な検察官になるためには、こうした二面性を理解し、そのうえで行動を起こさなければならない。人の命が奪われたら、子どもが性的虐待を受けたら、女性がレイプされたら、加害者には重い責任を負わせて当然だ。それが、司法制度が果たすべき一つの義務である。だがそれだけでなく、公平性が、それを保証すべきであるはずの司法制度において十分に保たれていないことも自覚しなければならないのだ。革新的な検察官の務めは、見過ごされた人を探し出し、声をあげられない人のために口を開き、犯罪の結果のみならず、その原因に目を向けて対処し、不当な扱いにつながる不平等と不公平に光を当てることである。すべての人に罰が必要なわけではなく、多くの人に必要なのは、まぎれもなく助けなのだと気づくことである。
本来、地方自治体の役人が国の政策を定めることはできない。管轄区域外で権限の行使はできないのだ。だが優れたアイデアを思いついたら、小さなスケールでもいいから、模範となる実例を示し、ほかの人たちが再現できるようにすることなら可能だ。私たちがバック・オン・トラックをつくったおもな目的もそれだった。国のすべての州のすべてのレベルの政府のリーダーたちに、社会復帰プログラムはうまく機能するし、やってみる価値があるのだということを証明したかった。だから、バック・オン・トラックがオバマ政権下の司法省によってモデルプログラムに選ばれたときは、このうえなくうれしかった。
私はやることリストを短期、中期、長期の三つのカテゴリーに分けた。短期は数週間、中期は数年、長期は無期限。直面している最も解決困難な問題はノートのずっとうしろのページに書いた。自分の力でも、チームで取り組んでも、たとえ引退するまで頑張っても解決できそうにない問題だ。最も重要な仕事はそこにある。そうした問題に取り組むのなら、大局的な視点に立って、現在だけでなく過去の政策にも目を向けるべきだ。刑事司法制度の核心にある問題はいまに始まったものではない。思想家や活動家や指導者たちは、長年にわたって制度の改革に挑んできた。私は幼いころ、そうした多くの人に会う機会に恵まれた。解決困難な問題のリストに記されるのは新しい問題ではない。数十年、いやひょっとすると数百年ものあいだ人々が闘ってきて、いま自分の手に委ねられた、重要な問題なのである。
(中略)
私たちは長いストーリーの一部であり、任された章をどのように描くかに責任を負うべきなのだ。
公民権や社会正義のための闘いは、気弱な人間の手に負えることではない。重要であるのと同じぐらい困難で、敗北の味はとても酸っぱい。かといって勝利の味はそれほど甘くない。だが、私は絶対にくじけないと誓おう。そして、もしあなたが目の前に立ちはだかる障害に焦ったり、やる気をそがれたりしたときは、私が刺激を受けた人物の一人である黒人女性初のアメリカの連邦判事、コンスタンス・ベイカー・モトリーの言葉に目を向けてほしい。彼女はこんなふうに記している。
「励ましがないからといって、おじけづいたことはない。むしろ、やる気が湧いてくる。私は圧力に屈するような人間ではなかった」
私にとって、自分に送られてきた手紙を読むことは、主要な政策課題に対して有権者がどう考えているのかを理解する以上の意味がある。私はそれらの手紙から、人々がどのような暮らしをしているのかを、喜びと不安の両面から理解したいのだ。多くの場合、有権者が手紙を送ってくるのは、本当に切つまったときだといえる。心底困っていて、あらゆる手を尽くしているのに、何をやってもうまくいかない。そんな状況だからこそ、私に向けて、何が自分たちの人生を変えてしまったのかを語ってくれるのだ。
(中略)
どの手紙も、それぞれ異なる事情を訴えている。その一方で、全体として見れば同じ話をしているともいえる。それは、生活苦に陥ったアメリカ人の物語だ。住宅、医療、育児、教育など、あらゆるコストが昔よりもはるかに高くつくようになった。その一方で、賃金は何十年も前から変わらず低いままだ。私のもとには、中間層の空洞化と、苦しいやりくりを宿命づけられた家計について報告する手紙が、ひっきりなしに舞い込んでくる。
夜中にふと目を覚ましたとき、私はアメリカじゅうの無数の家庭に思いを馳せる。そこでは、何百万人もの誰かが、私と同じようにこの時間も起きているだろう。彼らの多くが、押しつぶされそうな不安と向き合っているにちがいない。子どもたちに満足な生活を与えてやれるだろうか?破産したらどうしよう?今月の支払いをどうやって乗りきればいいのか?
私たちに残された時間は少ない。それが厳しい現実だ。急を要する問題に取り組むための時間がない、という意味だけではない。来るべき大きな変化に備えるための時間もないのだ。人工知能の台頭により、アメリカは早晩、自動化(ロボット化)の危機に直面するだろう。そうなれば、何百万人もの雇用が脅かされることになる。
アメリカの産業は過渡期を迎えている。自動運転のトラックは、三五〇万人のドライバーの仕事を奪う可能性がある。納税申告書の作成業務も丸ごと消滅するかもしれない。ヘマッキンゼー・グローバル・インスティテュート)は、全世界で三億七五〇〇万もの人が自動化の影響で転職を余儀なくされるだろうと予測する。また、二〇三〇年までには現在の労働時間の二三パーセントが自動化されるだろうという。別の分析によれば、近い将来、自動化によって年間二五〇〇万人の雇用が失われる可能性もあるという。私たちはすでに、リストラの代償を目の当たりにしている。それなのに、これから起こることに対してまだ何の準備もできていないのだ。
(中略)
まず認識すべきは、未来の仕事は高校以降も教育を受けていることが前提になるだろうということだ。つまり、何らかの資格や大学の学位が、オプションではなく必要条件になる。「すべてのアメリカ人は公教育を受ける資格がある」という原則に忠実であろうとするなら、教育への投資を高校まででやめるわけにはいかない。私たちは、現在の労働力と同様に、未来の労働力にも投資する必要がある。それはすなわち、高校以降の教育にも予算を割くということだ。とくに、大学の無償化を実現させなければならない。
気候変動は、さまざまな角度から眺めることのできる問題だ。一部の人は、純粋な環境問題としてとらえている。彼らが指摘するのは、人が住める環境の破壊、氷河の減少、種の大量絶滅といった問題だ。あるいは、公衆衛生上の問題だと考える人もいる。気候変動によって、きれいな空気ときれいな水が簡単に手に入る世界が失われてしまうことを彼らは悪念している。さらに、経済的な側面もある。農家の人たちに聞いてみるといい。彼らの作業がいかに複雑であることか。彼らがどれほど正確に気象パターンを見極めていることか。豊作と凶作がいかに紙一重であることか。それを知れば、異常気象や予測不能な気候の変化が、いかに無視できない問題なのか理解できるだろう。
一方、軍の大将や情報機関の上級職員、国際紛争の専門家らに話を聞くと、彼らが気候変動を国家安全保障上の脅威としてとらえていることがわかる。気候変動とは貧困と政情不安を悪化させ、黒力や絶望、テロさえも生み出しかねない「脅威の増幅装置」だ。不安定で不規則な気候は、不安定で不規則な世界を生むのである。
一例を挙げよう。気候変動は干ばつを引き起こす。干ばつは飢鐘をもたらす。飢饉になれば、切羽つまった人々が生活の間を求めて国を去る。その結果、大量の難民が移動し、難民危機が発生する。難民危機は、国境を越えた緊張と情勢不安を引き起こす。
気候変動は、人命にかかわる世界規模のパンデミックが米国に上陸するリスクも高める。疾病予防管理センター(CDC)の報告によると、二〇〇六年から二〇一六年にかけて、ウエストナイル熱、ジカ熱、ライム病などに感染したアメリカ人の数は三倍以上に増えた。気温の上昇にともない、アメリカ各地では、以前ならすぐに消滅していたようなウイルスも増殖している。実際、CDCではこれまでアメリカでは見られなかった感染症を九種も確認ずみだという。
気候変動が深刻な情勢不安と絶望をもたらし、それが国家の安全を危機にさらす。これは厳然たる事実だ。
仮説を検証しよう
科学や医学、テクノロジーの分野では、仮説や実験をはじめとするイノベーションの文化は広く受け入れられている。そこでは、失敗は想定内だ。ただし同じ失敗は二度繰り返さない。不完全であることも想定内だ。ソフトウェアが折に触れて微調整や更新を必要とすることに、私たちはもう慣れっこになっている。バグフィックス(バグの修正)やアップグレードの考え方にも、何の抵抗もないだろう。テストを行えば行うほど、何が有効で何がそうでないのかが明確になり、最終的な製品やプロセスがよりよいものになると知っているからだ。
ところが、公共政策の領域になると、途端にイノベーションを受け入れることが難しくなる。理由の一つは、選挙に出て有権者の前に立つ人間に、「仮説」を語ることは求められていないからだ。代わりに「計画」が求められる。問題は、新しい政策にせよ計画にせよ、イノベーションが初めて発表されるときにはたいていの場合、久陥を抱えているということだ。しかも、なまじ世間の注目を浴びているため、これらの欠陥は新聞の大見出しになる可能性が高い。二〇一三年に、医療保険サイト<HealthCare.gor>が公開から二時間でクラッシュしたときも、問題はあくまで一時的なものだったにもかかわらず、医療費負担適正化法(ACA)そのものが愚策であることの証拠のように取り上げられた。
要するに、公職に就いている以上、大胆な計画を推し進めることには多くのリスクがともなう。それでもなお、そうすることが選挙で選ばれた者の義務だと私は居じている。それは、私たちの就任誓に刻まれた精神でもある。
公務員のあるべき姿とは、とりわけ厄介な問題の解決策を探すこと、そして、将来に対してビジョンをもつことだ。私は常々、政治的資本は利益をもたらすものではないと言ってきた。政治的資本は使うためにある。損をすることを恐れてはいけない。自分の仮説を検証し、自分が考えた解決策が機能するかどうかを指標やデータに基づいて確認するために、積極的に資金を投じるべきだ。ひたすら従来のやり方を踏襲することが、成功への近道などであってはならない。
目立たないものを大切にしよう
ビル・ゲイツが夢中になっているもの、それは化学肥料だ。「化学肥料が重要な議題になっている集会には、なるべく顔を出すようにしている」と彼は言う。「化学肥料を使うメリットや、過剰使用がもたらすデメリットを解説した本もひととおり読んだ。しかし、カクテルパーティーでは、この話ばかりしないように気をつけなければならない。たいていの人は、私ほどには化学肥料に興味をもっていないからだ」。なぜゲイツは、それほど肥料に夢中なのか? ゲイツが言うには、地球で暮らす人々の四〇パーセントは、化学肥料によって農作物の生産量が増えたおかげで食べることができているという。化学肥料は、何億もの人を貧困から救った「緑の革命」(認注/一九四〇年代~六〇年代にかけて実施された農業革命)の起爆剤でもあった。世界から飢えをなくそうという計画を発表するのと、実際に飢えをなくすことのあいだには、大きな隔たりがあることをゲイツは理解している。この隔たりを埋めるには、化学肥料や気象のパターン、小麦の成育状況など、一見、目立たない要素が重要になってくるのだ。
計算式を見せよう
「計算式を見せる」という手法を、私は駆け出しのころから取り入れてきた。一つには、この手法によって自分たちの提言や提案が理にかなったものなのかどうかを検証できるからだ。前提となっている要素をあらためて整理してみると、自分たちの主張のなかに本来想定すべきではないことを想定している部分があることに、しばしば気づかされる。そんなときは、もう一度その部分に立ち戻り、見直しを行い、さらに深く掘り下げていく。そうして初めて、自をもって提案を行えるようになる。
同時に、国民の任を求めるリーダーとしては、計算の過程を示すのは義務であるとも思う。最終的な判断を下すのは、私たちではなく国民自身だ。そのためには、私たちがどのようにして自分たちの結論に至ったのか、国民に示すことができなければならない。
だからこそ、私は若い法律家に最終弁論の組み立て方を指導するときも、常に念を押していたー階審員に「答えは八になるはずです」と言うだけでは、彼らを説得することはできないと。弁護士の仕事とは、二+二+二+二は疑いようもなく八になるのだと階審員に納得させることだ。そのために、あらゆる要素を分解する。そして、自分たちの主張を論理的に説明する。どのようにしてその結論に至ったのか、その道筋を階審員に示すのだ。
プロセスを示せば、人々はその提案に同意するかどうかを判断するためのツールを手に入れることができる。全面的に賛成はできなくても、大部分については同意できると気づくこともあるだろう。政策立案において、このような「部分点」は建設的なコラボレーションの第一歩になる。
一つの闘いはここに終わりを告げたものの、その影響の範囲はいまだ計り知れない。正しいことをしようとする一人の意思が、広範囲に変化をもたらす火種になりうることは、歴史が証明している。一九九一年にアニタ・ヒル(訳注/アメリカの黒人女性弁護士。当時最高裁判事候補だったクラレンス・トーマスをセクシュアルハラスメントで訴えたことで知られる)が行った証言は、加害者であるクラレンス・トーマスを最高裁判事の座から引きずり下ろすのに十分ではなかった。しかし、「セクシュアルハラスメント」という言葉を世に広め、国民的な議論を呼び起こすきっかけとなった。ヒルの証言から二か月もたたないうちに、議会は一九九一年公民権法を可決し、セクシュアルハラスメントの被害者への救済措置を拡大した。翌一九九二年の選挙では、民主党の女性議員が旋風を巻き起こし、下院の女性議員が二倍、上院の女性議員は三倍に増えた。
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