好きな本2025


2025年に読んだ本ベストは「古今和歌集全評釈 上中下」(片桐洋一)です。


目次

1 青い城

2 ゼロの焦点

3 猫は鳥を見つめる

4 ワインを楽しむ教科書

5 オルガ

6 愛の重さ

7 秘密機関

8 猫は流れ星を見る

9 BRUTUS 東京大全(2025年 4月15日号)

10 朗読者

11 ビリー・サマーズ

12 ウクライナ戦争は世界をどう変えたか

13 百人一首図鑑

14 古今和歌集 ビギナーズ・クラシックス

15 3つの視点で会社がわかる「有報」の読み方

16 CNN English Express 2022年6月号

17 古今和歌集全評釈 上中下

18 適時開示実務入門

19 猫は殺しをかぎつける

20 紀貫之

21 黒後家蜘蛛の会3


1青い城」L.M. モンゴメリ

<あらすじ>内気で陰気な独身女性・ヴァランシー。心臓の持病で余命1年と診断された日から、後悔しない毎日を送ろうと決意するが。周到な伏線と辛口のユーモアに彩られ、夢見る愛の魔法に包まれた究極のロマンス。

<感想>

・大学生のときに読んですごく良かったので再読。やはり良かったです。内容をかなり忘れていまっていて悲しくなりましたが、新鮮な感動を味わえるのは得ということにしましょう。

・作中に出てくる作家・ジョン・フォスターが内気なヴァランシーを奮い立たせるシーンが良かったです。

ヴァランシーはまさにストーリング師に従おうとしていた。一緒に家へ帰らねばならないのだーそして、諦めるのだ。またもや、ドス・スターリングに逆戻りし、残された何日、いや何週間かを、もとのようなおどおどした、とるにたらない女として過ごさねばならないのだ。それが彼女の運命なのだーこの冷酷な、つきつけられた人差し指に象徴された運命。がなりやアベルが予定された運命からのがれられないのと同様、彼女もこの指から逃げることはできないのだ。彼女は魅入られた鳥が蛇を見つめるように、指を見つめていた。その次の瞬間ー

「恐れは原罪である」突然、静かな、ささやくような声が、遠くー遠くーヴァランシーの意識のずっと奥の方から響いてきた。「世の中のほとんどすべての悪は、その根源に、だれかか何かを恐れているという事実がある」

ヴァランシーはすっくと立ちあがった。まだ恐れに縛られてはいたが、魂は再び自分のものになっていた。心の中の声をいつわってはならない。

・モンゴメリがスターリング家の人々を面白おかしく描写しているので、なんだか嫌いになれません。


2ゼロの焦点」松本清張

<あらすじ>縁談を受け、広告代理店に勤める十歳年上の鵜原憲一と結婚した禎子。本店勤めの辞令が下りた夫は、新婚旅行から戻ってすぐに、引き継ぎのため、前任地の金沢へ旅立った。一週間の予定をすぎても戻らない夫を探しに、禎子は金沢へ足を向ける。北陸の灰色の空の下、行方を尋ね歩く禎子は、ついに夫の知られざる過去をつきとめる。戦争直後の混乱が招いた悲劇を描き、深い余韻を残す著者の代表作。

<感想>

・松本清張(まつもとせいちょう)は、私の地元・北九州出身の作家。私が中学生のときに、松本清張生誕100周年のイベントとして、学校で何かの感想文を書かされた記憶がありますが、何を書いたのかも覚えておらず、おそらく適当に書いたのだと思います。そんな私が清張の魅力に気づくのは、高校生の時。フジテレビ開局55周年特別番組として放送されたドラマ「」を見て、松雪泰子さんの怪演に衝撃を受けました。ものすごい作品でしたね。以来、清張の特別ドラマを見たり、朗読を聞いたりしていました。印象的なのは、朗読で聞いた「家紋」。これは恐ろしいお話です。

・悲しいお話です。歴史の悲しい面を感じるという点では松本清張原作の映画「砂の器」に似ています。

・金沢や能登半島の寒く寂しい雰囲気が印象的でした。

・松本清張(あと山崎豊子さん)の作品は大変興味はあるものの、内容が重厚で本を読むのは難しいかなあと思っていたのですが、「ゼロの焦点」はすらすらと一日で読んでしまいました。読みやすく、次のページをめくりたくなる、推進力のあるお話です。

・第3者が語る形で物語は進みます。その語り口が堅苦しくて、いかにも"松本清張"という感じです。そこが好きなんですけど。

・さまざまな描写や言葉遣いから昭和を感じられ、タイムスリップしたような感覚になります。

・他に興味のある清張作品:「黒革の手帖」、「点と線


3猫は鳥を見つめる」リリアン・J. ブラウン

<あらすじ>新しい家に引っ越してきたクィラランは、シャム猫のココたちと、町で起きた殺人事件の謎を解き明かそうとする。高慢な校長が殺害された事件。ココたちの鋭い観察眼とクィラランの推理力が、事件の真相へと導く。のどかな田舎町を舞台に、猫と人間が織りなすミステリー。

<感想>

・「シャム猫ココ・シリーズ」の第12作だそうです。猫好きのお義母さんが貸してくれたので読むことに。意外にも面白かったです。

・cozy mystery(日常的な場面でのミステリ)という感じで軽く読めました。主人公は莫大な遺産を受け継いだ資産家で、ゆったりとした暮らしが羨ましくもありつつ、読みながら私もくつろいだ気分になれたので良かったです。そういう意味でもcozyでした。

・登場人物が個性的。登場人物がかなり多いのに「この人だれだっけ?」となることが少なく、逆に印象的な人物は多かったです。主人公のクィラランのほか、ポリー、校長、イングルハート夫人、フラン・ブロディなど。

・主人公が飼っている猫(ココ、ヤムヤム)は喋るわけでもないのに、印象的な存在でした。自由で優雅で謎めいていましたね。

・作者のリリアン・J. ブラウンは博識なんだと思います。さまざまな知識が織り込まれていて、刺激的で楽しかったです。

・ミステリは読む頻度は今や年に1-2冊と少ないですが、好きなジャンルです。ただ、残酷な描写は苦手です。友人に勧められた「ストーンサークルの殺人」を最近読んだのですが、残酷すぎて序盤で断念しました。中学生のときの話ですけど、「ダ・ヴィンチ・コード」も最後まで読めませんでしたね。
 ミステリで一番好きなのはやっぱりコナン・ドイル作「シャーロック・ホームズ」シリーズですね。アイザック・アシモフ作「黒後家蜘蛛の会」も好きです。中学生のときは東野圭吾の作品が面白くて何冊か読みました。「流星の絆」「麒麟の翼」「聖女の救済」「容疑者Xの献身」など。
  今気になっているミステリ作品は、アガサ・クリスティ作「火曜クラブ」、これは安楽椅子探偵の代表ですからね。ハリイ・ケメルマン作「九マイルは遠すぎる」、これも安楽椅子探偵。アンソニー・ホロヴィッツ作「カササギ殺人事件」「メインテーマは殺人」。「黒後家蜘蛛の会」シリーズも久しぶりに読みたいですね。


4ワインを楽しむ教科書」大西タカユキ

<あらすじ>確かにワインは奥深いものですが、もっと気軽に楽しめるお酒です。本書ではワイン界の異端児、大西タカユキ氏が、「ワイン語」を極力排し、ワインの知識をわかりやすく解説。コミカルなイラストとともに、選び方、楽しみ方を紹介します。家飲み、ショップ、レストランで使える知識が満載です。

<感想>

・お酒は人と外食したときに付き合いで飲むものでしたが、最近になってお酒の味が好きになってきました。ときどき日本酒かワインを食事といっしょに飲みたくなります。日本酒はある程度は銘柄を知っているので悩みませんが、ワインはさっぱり。スーパーにたくさん並んでいるワインの中から自分に合ったものを選べるようになりたくて本を読んでみました。

・分かりやすいです。ぶどうの種類で味が変わること、産地を旧世界と新世界に分けて考えると良いことが分かり、かなりワインを選びやすくなりました。お手頃なワインの選び方の説明もあって助かります。

・内容は幅広いです。私のような初級者から上級者まで楽しめる層はかなり広いと思います。私がワインを選ぶ上では必要ない細かい情報もたくさんありましたが、それらも読み物としては面白かったです。へえ、と思いました。

・日本産ワインの説明もありました。ワインを作っているのは山梨と長野だけではないのですね。日本で開発されたワイン用ぶどうの種類もいくつかあるそうです。あと、ドイツ産のワインも試してみたくなりました。甘口なんですって。

・ワインにまつわる知識として、料理との合わせ方、グラスの選び方、余ったワインの使い道、保管方法まであります。


5オルガ」ベルンハルト・シュリンク

<あらすじ>北の果てに消えた恋人、言えなかった秘密。貧しい出自も身分差も乗り越え、激動の20世紀ドイツを駆け抜けた女性オルガ。その毅然とした生き方を描く最新長篇。

<感想>

・悲しいストーリーですが、とても良い作品です。

・大切な人を失うオルガの悲しみが自分のことのように思われて、私もしばらく悲しみを引きずってしまいました。一緒に過ごした時間が長いほど様々な思い出が積み重なって、失った後は耐えられないのではないかと思います。ふとした瞬間にその人の記憶が蘇って思いがけず涙が出てくるんだろうと思います。

 全然違う作品ではありますが、韓国ドラマ「冬のソナタ」で、大人になったユジンが高校時代に死んだ彼(チュンサン)のことを涙ながらに語るシーンを思い出しました。あのシーンも強い悲しみが胸に刺さりました。

「今までにあなたは誰かを心から愛したことありますか?あるはずないわ。だからそんなことが言えるんです。今まですぐそばで息をしていた人が突然消えてしまうのがどんなものか知ってますか?何一つ変わっていないのにその人だけいない感じがどんなものか、その寂しさが分かりますか?」

・本書は3部構成です。第1部はオルガとヘルベルトが過ごした時間。第2部はオルガが晩年仲良くしていた少年の目線から語られる。第3部はオルガがヘルベルトに宛てた手紙。第3部も良かったですが、第1部の前半が好きです。オルガとヘルベルトの間にある愛情は特別なものに感じられました。特に、二人が樹上の狩人小屋で過ごすシーンが良かったです。

・すばらしい本を読むときは、私が本を読み進めるのではなく、本が私を次のページへ連れていってくれると感じます。この作品もまさにそうでした。特に、数ページ目のヘルベルトが走るシーンから先は本に導かれるように進んでいきました。

彼は、歩けるようになるとすぐに、走ろうとした。一歩ずつでは早く走れないので、片方の足が空中にあるあいだにもう片方も持ち上げては、転ぶのだった。起き上がり、また一歩ずつ歩き出す。そして、またもやこれでは遅すぎると思い、片方の足が着地する前にもう一方を持ち上げて、ふたたび転んだ。起き上がり、転び、また起き上がるーじれったそうに、それでもむことなくやり続けた。歩くんじゃなくて、どうしても走りたいのね、と彼を見ていた母親は考え、首を横に振った。

地面を離れた足が自分に追いついてからもう片方を上げるべきだと学んでからも、彼は歩こうとはしなかった。すばしっこく小幅でちょこちょこと走る。

・作者のベルンハルト・シュリンク氏は著作が他にもたくさんあるようです。特に有名な作品「朗読者」を読んでみたいです。映画化されているとのこと。「愛を読むひと

・新潮クレスト・ブックスのシリーズは良い作品が多いです。本作の他にこれまで読んで良かった作品は、「緑の天幕」、「通訳ダニエル・シュタイン」、「ミッテランの帽子」。もっといろいろ読んでみたいです。オーディブルのような朗読版があればいいのにと思います。

<印象に残ったところ>

・ヘルベルトがオルガに恋に落ちるシーン。

次にオルガに会ったとき、ヘルベルトは細かく観察してみた。彼女の高くて広い額、力強い順骨。緑の目はほんのちょっと斜めになっているが、すばらしい輝きを放っている。鼻や顎はもっと小さく、口は大きい方がいいだろうか?しかし、オルガが笑ったりほほえんだり話したりするとき、その口はとても生き生きとして、圧倒的な存在感を発するので、その口の上にはこの身、下にはこの顎がふさわしく思えるのだった。それこそいまのように、声を出さずに唇を動かして勉強しているときなどは、まさにそうだった。

ヘルベルトのまなざしはオルガの首とうなじを辿り、胸の上のブラウスの膨らみや、スカートに隠された太腿とふくらはぎの部分で立ち止まり、むき出しの踵と足の上にとどまった。勉強するとき、オルガは靴と靴下を脱いでいたのだ。これまで何度もオルガの踵と足を見てはいたけれど、じっと眺めたことはなかった。くるぶしの横の窪み、踵の丸み、爪先の繊細さ、青い血管。足首や足に、どれほど触れたいと思ったことか!

「何をじろじろ見てるの?」

オルガがヘルベルトを見つめていたので、彼は赤面した。「じろじろ見てなんかいないよ」

二人は向かい合い、あぐらをかいて座っていた。オルガは本を、ヘルベルトはナイフと木切れを手に持っていた。彼はうつむいた。「きみの顔はよく知ってるつもりだったけど」ヘルベルトは首を振り、ナイフで木切れから削り層を飛ばした。「いまでは…」彼は顔を上げてオルガを眺めた。まだ赤面していた。「いまではずっと眺めていられる。きみの顔、首、うなじ、きみの……きみの姿を。こんなにきれいなものは見たことがない」

オルガも赤面した。二人は見つめ合い、目と心だけになっていた。


・狩人小屋でヘルベルトが無限について語るシーン。その後のヘルベルトの野望を暗示させる印象的な対話です。

ヘルベルトはオルガをそっとしておかなかった。彼は究極の問いを発見したのだ。数日後、彼は尋ねた。

「無限は存在するのか?」

二人はまた並んで寝転んでいた。オルガの顔は、両手で支えている本の陰にあった。ヘルベルトは目を閉じ、顔には陽が当たっていた。口には草の茎をくわえている。

「平行線は無限において交わるんだって」

「学校ではそう教えているけど、たわ言だよ。線路をずっとずっと辿っていったらしいつか左右のレールが交わるところに到達すると思うかい?」

「線路をずっと辿っていったって、それは有限でしょ。無限じゃないわ。あんたみたいに走ることができれば話は別だろうけど…」

ヘルベルトはため息をついた。「からかうのはやめてくれよ。ぼくが知りたいのは、有限な人間の有限な生において、無限が意味を持ちうるのかってことだ。それとも、神と無限は同じものなのかな?」オルガは開いた本を腹の上に載せたが、本から手を離すことはしなかった。できればまた本を持ち上げて読みたかった。勉強しなくてはいけないのだ。無限なんてどうでもよかった。でも、ヘルベルトの方に顔を向けると、彼は心配そうに、そして期待を込めて、彼女を見つめていた。「どうしてそんなに無限が気になるの?」

「どうしてかって?」ヘルベルトは体を起こした。「無限であるからには、到達できないんだよな?でも、いまの時代と手段にとって、というだけでなく、そもそも絶対に到達不可能なものって、あるんだろうか?」

「もし到達できたら無限をどうしたいの?」

ヘルベルトは黙り込み、遠くに目を向けた。オルガも起き上がった。彼は何を見ているのだろう?カブ畑。緑の植物と茶色の畝が長い列になって並んでいる。列は最初はまっすぐだが、やがて地になって湾曲し、地平線に向かって、最後は緑地と溶け合っている。離れて立っているポプラの木。一群のブナの木が、明るいカブ畑の海に黒っぽい鳥を作っている。空には雲はなく、太陽はオルガとヘルベルトの背後にあって、すべてを輝かせていた。植物の緑も、木々も、地面の茶曲も。彼は何を見ていたのだろう?

ヘルベルトはオルガに顔を向け、どうしていいかわからなかったので、困ったようにほほえんだ。


・遠距離恋愛時代

自分がヘルベルトの人生のなかで演じている役割は、既婚男性にとって愛人が演じる役割のようだ、とオルガは気づいた。既婚男性は自分の世界のなかで生き、自分のやりたいことをやる。そして、たまに人生の時間を少しだけ空けておいて、愛人とともにその時間を過ごすのだ。だが愛人は、彼の世界にも目的にもまったく関与していない。ヘルベルトは既婚者ではなく、戻っていくべき妻や子どもはいなかった。オルガは、ヘルベルトが彼女を愛しているのを知っていたし、彼が他人に対してできる最大限の歩み寄りを、彼女に対してしてくれているのもわかっていた。他人と一緒にいて感じうる最大の幸福を、彼はオルガと一緒にいるときに感じていた。ヘルベルトは自分がオルガに与えられるものはすべて、彼女に与えてくれていた。

しかし、彼女がほんとうに望むものを与えることは、彼にはできないのだった。


・第3部 オルガがヘルベルトに宛てた手紙

最愛の人、これがあなたに書く最後の手紙です。あなたに別れを告げたいと思います。新しい年は、あなたなしで始めます。もう、自分の周りや自分のなかに、あなたがいてほしくありません。あなたは死にました。もうずっと前に死んだのに、わたしはいまだにあなたと話しています。話していると目の前にあなたが見え、声が聞こえます。あなたは答えてはくれないけど、笑ったり、不満げに文句を言ったり、同意するように呟いたりします。あなたはそこにいるのです。腕や足を一本失った兵士たちの幻肢痛について、耳にしたことがあります。腕や足はもうないのに、まだそこにあるかのように痛むのです。あなたはいないのに、まだそこにいるかのようにわたしの胸を痛ませます。

あなたがまだ生きていたときに愛したように、死んでしまってからも愛することができればーあなたはずっと幻だったのですか?わたしは自分が作ったあなたのイメージを愛していたのですか?あなたが生きていようが死んでいようが関係のないイメージ?

あなたをわたしの人生から追い出すつもりはありません。あなたはわたしの心のなかで一つの場所を占めています。そこはあなたの、あなただけの神殿です。わたしはときおりそこに佇み、あなたのことを考えます。でも、その神殿を閉ざし、そこに背を向けることも可能でなければなりません。そうでないと、あまりに辛いのです。


わたしはよくあなたのことを考えますが、一緒に過ごしたあの時代のことは、もしお互いに年をとっていたら、これほど身近に考えられなかったかもしれません。でも、一緒にあの時代を思い出すことができていたらよかったでしょうね。家の前でベンチに座って、あなたが何かを思い出し、わたしがそれについてさらに何かを思い出し、それから今度はわたしが別のことを思い出して、あなたが話を続けるのです。

日々の家事をしながら、よくあなたのことを考えます。すると、わたしはあなたと話すのです。それは、自分と話すよりもいいことです。

あなたはわたしの伴侶です。早い時期にそうなって、ずっと伴侶であり続けました。わたしはあなたに腹を立て、あなたと喧嘩しますが、だからこそあなたはわたしのパートナーで、そのことを嬉しく思います。

あなたのオルガより


6愛の重さ」アガサ・クリスティ

<あらすじ>幼くして両親をなくしたローラとシャーリーの姉妹。ローラは妹を深く愛し、あらゆる害悪から守ろうとした。しかしかえってそのことが、妹の一生を台無しにしていたことを知り、愕然とする。人間の与える愛の犯し得る過ちと、その途方もない強さを描きだしたクリスティーの愛の小説。

<感想>

・メアリ・ウェストマコット名義の作品。

・第1部のローラと、第2部のシャーリーが良かったです。ローラは妹のシャーリーとの距離を悩みながら接しているところが、シャーリーはヘンリーを献身的に愛しているところが印象に残りました。

・タイトルの「愛の重さ(The Burden)」は、ローラの愛がシャーリーにとって重荷であることを意味するのかと思っていましたが、意外でした。

・本編の後に、早川書房が出しているクリスティ文庫の紹介が載っており、ポアロシリーズ、ミス・マープルシリーズと並んでトミー&タペンスというシリーズの紹介がありました。これは大変気になります。

 秘密機関

 NかMか

 親指のうずき

 運命の裏木戸

 おしどり探偵(短編集)


7秘密機関」著者

<あらすじ>戦争も終わり平和が戻ったロンドンで再会した幼なじみのトミーとタペンス。ふたりはヤング・アドベンチャラーズなる会社を設立し探偵業を始めるが、怪しげな依頼をきっかけに英国を揺るがす極秘文書争奪戦に巻き込まれてしまう。冒険また冒険の展開にふたりの運命は?

<感想>

・最近はアガサ・クリスティ作品ばかり読んでいます。「春にして君を離れ」「ナイル殺人事件」(映画)「愛の重さ」。気になっていた「トミー&タペンス」シリーズの第1作「秘密機関」を読みました。

・スピード感のあるミステリでした。(ミステリというかサスペンス?)スピード感に乗せられて、あっという間に読み終えてしまいました。

・トミーとタペンスのコンビがとても良かった。二人とも好きですが、どちらかというとトミーが好きかなあ。


8猫は流れ星を見る」リリアン・J・ブラウン

<あらすじ>平和の夏休みを求めて、いつものようにムースヴィルの別荘にやってきた元新聞記者のクィラランとシャム猫ココ。独立祭パレードを前に折りしも静かな村はバックパッカーがUFOに拉致されたという奇妙な噂で持ちきりだった。それに呼応するかのように、ココは夜空を見上げてばかり。やがて湖から失踪した旅行者の死体が上がり、ヒゲに震えを感じたクィラランは調査に乗り出す。シャム猫ココが星に訊ねた真実とは。

<感想>

「猫は鳥を見つめる」が面白かったので、義母が貸してくれた同じシリーズの作品を読むことに。本作も面白かったです。このシリーズはよく練られていると思います。ミステリとしてのストーリーはシンプルで特筆すべきところはないんですけど、数々の小さな挿話がすごく面白いんですよね。あとキャラクターそれぞれが個性的で魅力的。完成度が高い小説だと感じました。

・翻訳も良いです。羽田詩津子氏の翻訳作品はシャム猫ココシリーズが初めてだと思います。このシリーズはすべて彼女が翻訳を担当しているのですね。


9BRUTUS 東京大全(2025年 4月15日号)」BRUTUS編集部

<あらすじ>いま世界中からツーリストを集める東京は、目利きな人たちが多く集う都市でもある。今回は、そんな目利きたちが自分なりに楽しんでいるアドレスを徹底的に教わる特集だ。100人いれば100通りのTOKYOがある。日々歩いていても、知っているようでまだまだ知らない。そんな巨大都市の魅力を再発見しよう。

<感想>

・私はかなりのインドア派だったのですがここ数年で外出も楽しくなってきて、東京の見どころをもっと知りたくなっていました。そんなところに、YouTubeでこの特集を見つけて買ってみました。普段、雑誌は買わないのですが、この特集は面白かったです。

・良かったです。いろいろと気になったところがあったので、Googleマップにピンを立てておきました。

・内容は充実しています。TOKYO MANIAというビビッドの黄色を基調とした特集は、マニア92人がそれぞれの領域からおすすめの場所を紹介するという企画で、かなりマニアックです。(豆腐、ネオンサイン、暗渠などまでありました)

・たくさんの人に取材していて手が込んでいます。作り手の熱意を感じました。

・Kindle版を買うか迷ったのですが、久しぶりに実物の本を買いました。表紙と裏表紙の手触りが普通と違います。表面はざらざらしていて、青く抜かれた表紙の文字だけがつるつるしていて、強いこだわりを感じました。触っていても気持ちよかったです。

・私は京都も好きなので、京都の見どころをまとめた雑誌か本も買ってみたくなりました。


10朗読者」ベルンハルト・シュリンク

<あらすじ>15歳のミヒャエルは、母親といってもおかしくないほど年上の女性ハンナと恋に落ちた。ハンナはなぜかいつも本を朗読して聞かせて欲しいと求める。人知れず逢瀬を重ねる二人。だがハンナは突然失踪してしまう。彼女の隠していた秘密とは何か。二人の愛に、終わったはずの戦争が影を落していた。過去に犯した罪をどのように裁きどのように受け入れるか。

<感想>

・今年の初めに読んだオルガがとても良かったので、同じ作者の別の作品を読むことにしました。

・考えさせられるお話でした。

・ネタバレを嫌う方は読まれないほうが良いですが、訳者あとがきがこの本のポイントをよくまとめているので引用します。

訳者あとがき

小説の冒頭で描かれる十五歳の少年と彼の母親のような年齢の女性との恋愛はたしかにセンセーショナルなテーマではあるが、ナチス時代の犯罪をどうとらえるかという重い問題も含んだこの本がここまで国際的な成功を収めた背景は、いったいどこにあるのだろうか。この物語の一番の特徴は、かつて愛した女性が戦犯として裁かれることに大きな衝撃を受けながらも、彼女を図式的・短絡的に裁くことはせず、なんとか理解しようとする主人公ミヒャエルの姿勢にあるように思われる。彼女の突然の失踪に傷つき、法廷での再会後に知った彼女の過去に苦しみ、しかしそれでも彼女にまつわる記憶を断ち切ることはせず、十年間も刑務所に朗読テープを送り続けたミヒャエル。彼の律儀さ粘り強さには、ある種のドイツ人らしさが表われているように思う。前の世代が犯したナチズムという過失を見つめ続けることを余儀なくされ、それによって苦しむという体験は、敗戦後の民主主義教育を受けて育った彼の世代に共通のものだといえよう。しかしミヒャエル自身は「強制収容所ゼミ」に入って親の世代を糾弾する自分にかすかな良心の呵責を覚え、その後盛んになる学生運動に対しても距離をとり続けるのである。

過去に犯した罪をどのように裁き、どのように受け入れるか。この本で描かれている裁判の時期は一九六〇年代半ばと考えられるが、西ドイツでは実際に一九六三年十二月から六五年八月にかけていわゆる「アウシュヴィッツ裁判」が開かれ、かつての収容所の看守たちが裁かれた。初めてドイツ人がドイツ人の戦争犯罪を裁いたこと(戦争直後のニュルンベルク裁判では連合国がドイツを裁いた)、収容所での実態が初めて法廷で明らかにされたことで話題になったこの裁判の模様は、ペーター・ヴァイスが一九六五年十月初演の『追究』において戯曲化している。

・様々な話題に言えることですが、一般的な問題が身近になる瞬間というのがあると思います。例えば、自分の友達や家族のなかに障害者がいたら、「障害者の社会参画」という問題がリアルに自分ごとに感じられると思いますし、同じように、身近に同性愛者やシングルマザーや虐待を受けた人がいたら、彼らに関する社会的な問題がすごく難しくて重要な問題に感じられると思います。
 ミヒャエルにとってはハンナの存在によって、ナチズムがそれまでとはずいぶん違った形で感じられた。そしてミヒャエルの視点を通して、私もナチズムが簡単に裁ける問題ではないことを感じました。


訳者あとがき

この作品では看守としてハンナが犯した罪だけではなく、おそらくは貧しさゆえに満足な教育を受けることができなかったハンナの境遇が重要なポイントになっている。それは戦争犯罪に対する一種の免罪符ととれないこともない。もし条件が違っていれば、ハンナは収容所の看守になることはなかっただろうし、裁判も彼女に不利にはならなかったかもしれない。

・世の中の人々を簡単に善人と悪人に分けられるものではないとつくづく感じます。


文庫版訳者あとがき

この作品からは、自らは戦争の記憶がないまま、ナチ時代の過ちを徹底的に批判する歴史教育を受け、ドイツの過去を負の遺産として背負わされ、他の国に旅行するたびにドイツ人であることに引け目を感じざるを得なかった、シュリンクたちの世代ーそれは後にさまざまな旧(ふる)い権威に対して反旗を翻し、学生運動の中心となっていく、いわゆる「六八年世代」でもあるーのとまどいが率直に伝わってくることも確かである。と同時に、自分たちの前の世代と戦争との関わりをもっと深く理解したいという、彼自身の願いも感じられる。

・前の世代に対する思いというものをあまり考えたことがなかったのと、ドイツ人は負の遺産をすごく重く受け止めていることが感じられて、興味深かったです。


文庫版訳者あとがき

シュリンクは二〇〇一年に週刊誌「シュピーゲル」に寄稿したエッセイのなかで、過去がトラウマとなって自由な思考を妨げることについて否定的な見解を示しつつも、過去について考える必要性を強調して、次のように述べている。

(中略)「過去を片づけてしまうことなどけっしてできない。過去のおぞましさが、けっして忘れられ得ないほど甚だしいからというだけではない。過去が、わたしたちの文化的・文明的なあり方を脅かす事柄について気づかせてくれるから、というだけでもない。過去は、あらゆる道徳的なテーマや問題をはらむ素材でもあるのだ

・私は大学生くらいから「戦争」というテーマが頭から離れなくて、折に触れて過去の戦争に関する本を読んだり映画を見たりしています。「過去を掘り返しても今の状況が前進するわけでもないのに、なぜこれほどこだわるのだろうか」と自分でもよく分からないなと思う気持ちもありますし、一方で過去を理解するのはすごく意味のあることにも思えます。定まった答えはありませんが、ときどき考えてしまいます。


文庫版訳者あとがき

「あなたの愛した人が戦争犯罪者だったらどうしますか?」という問いかけは、国が違う読者にとっても、戦争を知らない若い世代にとっても、大きなインパクトを持つのではないだろうか。


・ミヒャエルは自身に対してすごく正直で真面目すぎますけど、そこに好感が持てました。そういう人は生きにくいと思いますが、私は好きです。

・この小説は映画化されているそうです。「愛を読むひと

・本作のなかで、ホロコーストに関する作品として「ソフィーの選択」という映画が紹介されていました。メリル・ストリープが出演しているそうです。気になります。

・ナチスによるホロコーストに関する作品は、「ライフ・イズ・ビューティフル」と「シンドラーのリスト」を見たことがあります。「ライフ・イズ・ビューティフル」は悲しみの中にも明るい希望を感じられるのでおすすめできますが、「シンドラーのリスト」はとにかく残酷なので映画を見る前に覚悟が必要です(スピルバーグ監督のホロコーストに対する強い思いを感じました)。私は二度と見られないと思います。


11ビリー・サマーズ」スティーブン・キング

<あらすじ>狙いは決して外さない凄腕の殺し屋、ビリー・サマーズ。依頼人たちには、銃撃しか能がない男を装っているが、真の顔は思慮深い人間であり、標的が悪人である殺ししか請け負わない。そんなビリーが引退を決意して「最後の仕事」を受けた。収監されているターゲットを狙撃するには、やつが裁判所へ移送される一瞬を待つしかない。狙撃地点となる街に潜伏するための偽装身分は小説家。街に溶け込むべくご近所づきあいをし、事務所に通って執筆用パソコンに向かううち、ビリーは本当に小説を書き始めてしまう。だが、この仕事は何かがおかしい。ビリーは安全策として、依頼人にも知られぬようさらに別の身分を用意し奇妙な三重生活をはじめた。そしてついに運命の実行日が訪れる。

<感想>

・スティーブン・キングの作品は怖いしグロテスクなのでめったに読みませんが、あらすじが面白そうだったので読むことにしました。いや、とても面白かったです。

・ストーリーもキャラクターも描写もすべて良かったです。キングは小説の名手ですね。特に描写が良かった。人物も設定もリアルに感じました。

・裏社会のストーリーが目まぐるしく展開していく感じは、ジョン・グリシャムの作品に近い印象を受けました。特に上巻のストーリーが良かったです。

・主人公が、過去にイラク戦争に従軍した経験が描かれています。イラク戦争は私が小学生の頃だったので記憶になく、これほどひどい戦闘だと知りませんでした。あとがきでキングは参考文献として「ファルージャ栄光なき死闘」を挙げていました。気になります。

・スティーブン・キングの作品は、キングが自身の娘に向けて書いたファンタジー「ドラゴンの眼」は好きですけれど、それ以外はなかなか気が進みません。映画はいくつか見ました。どれも印象的な作品ですが見る前に覚悟が必要です。「ショーシャンクの空に」、「グリーンマイル」、「スタンド・バイ・ミー」。


12ウクライナ戦争は世界をどう変えたか」豊島晋作

<あらすじ>なぜロシアはウクライナ侵攻へ突き進んだのか?中国の台湾侵攻リスクに日本人はいかに備えるべきか?ウクライナ戦争以後の世界を考える上で必読の1冊。

<感想>

・私は経済に関するニュースを追いかけるのに、日経新聞を読まない代わりに、World Business Satellite(WBS)という番組を見ています。この番組は平日の夜に地上波のテレビで見られるのですが、私はテレ東BIZの会員に登録して(月千円ほど)PCで2倍速で見ています。この番組はすごくわかりやすいです。見ているうちにメインキャスターの豊島晋作という方がすごく気になってきました。よく海外に取材に行って流暢な英語でインタビューしていて「この方は何者?」と思って調べてみると、東京大学大学院法学政治学研究科を修了、戦争に関する著作が2作、WBSの他に彼の番組「豊島晋作のテレ東ワールドポリティクス」もお持ちということです。試しに、テレ東ワールドポリティクスの「なぜ戦争は起こるのか?今さら聞けない現代国際政治の基礎とは」という回を見てみたら大変勉強になったので、もっと彼のコンテンツを知りたくなりました。

・私は戦争と平和というテーマに興味があるのと、ロシアがウクライナに侵攻する背景をどう理解したらよいか気になっていたので、読み始めました。

・どの章も大変勉強になりました。

・第1章はウクライナ戦争について様々な観点から解説しています。サイバー戦や核兵器シナリオなど。特に、朝鮮戦争など過去の戦争で核兵器の使用が検討されていたという話が衝撃でした。

・第2章はなぜプーチンが戦争を始めたのか、ロシアの論理について解説しています。私が一番知りたかった内容です。完全な納得まではいきませんが、ある程度ロシアの見方が分かりました。第2章について、夫のケイトさんとPodcastで話しました。かなり興味深いエピソードになりました。

・第4章はNATO、フィンランド、バルト三国、アフリカ諸国にとって、ウクライナ戦争がどう見えているか、過去の経緯を踏まえて書かれています。ニュースで、ウクライナ、ロシア、ベラルーシ、アメリカ、ドイツ・フランス・イギリス、の立場は報じられていましたが、それ以外の国の立場に触れられていなかったのでこの本で初めて知りました。

・第6章、第7章では、中国の台湾侵攻について。台湾戦争は起きるか、起きるとすればどのような戦いになるか、日本は参戦するか、など。起こり得るケースが詳細に書かれていて、戦争の可能性をリアルに感じました。台湾戦争だけでなく、北朝鮮の軍事侵攻やロシアの脅威についても書かれており、日本はかなり危険にさらされているのだと分かりました。外交によって戦争を回避するのが一番重要ですが、日本の防衛や周辺国との協力体制についても真剣に考えなければならないと思いました。

・豊島氏の著作「日本人にどうしても伝えたい 教養としての国際政治 戦争というリスクを見通す力をつける」も読みたいですし、「豊島晋作のテレ東ワールドポリティクス」の過去回も見ていきたいです。


13百人一首図鑑」谷知子

<あらすじ>100首の和歌、上の句・下の句それぞれを完全図解。見るだけで歌に込められた思いを理解できます。さらに100人が生きた飛鳥・奈良・平安・鎌倉時代の歴史と暮らしを学べます。『百人一首』のみならず、和歌や古典文学の入門書としてもオススメの1冊です。

<感想>

・私は中学一年生の百人一首大会で百人一首を真剣に覚えたのと、中学・高校で学んだ古文が楽しかった思い出があって、和歌が好きです。

・すごく面白かったです。和歌の意味だけでなく、詠まれた背景、関連する和歌の紹介、歌人の説明、平安貴族に関する知識など幅広い事柄を学べます。絵がたくさん使われているのも分かりやすかったです。情報が詰め込まれていて、書き手の情熱を感じます。

・和歌は五七調(七五調)のリズムや音の面白さが好きです。何かに例えて想像を掻き立てるのも好きです。

・かねてより紀貫之に興味があって、彼に関する本や、彼が編纂した古今和歌集を読んでみたいと思っていました。本を探して読みたいと思います。

・印象に残った歌

これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂(あふさか)の関

意味:これだよ、これ。これがあの、旅立つ人も旅から帰る人もここで別れては、知っている人も知らない人もまたここで会う、逢坂の関だよ。

解説:「行く」「帰る」、「知る」「知らぬ」、「別る」「逢ふ」の三組の対立語を配置し、リズミカルで楽しげである。

読み人:蝉丸


このたびは 幣(ぬさ)も取りあへず 手向山(たむけやま) 紅葉の錦 神のまにまに

意味:この度の旅は急なことでしたので、幣(ぬさ:神に捧げるもの)の用意もしておりません。手向山(たむけやま)の神様よ。この山の、錦のような紅葉をどうぞ御心(みこころ)のままにお受け取りください

読み人:菅原道真


嵐吹く 三室(みむろ)の山の もみぢ葉は 龍田(たつた)の川の 錦なりけり

意味:激しい風が吹き散らす三室山の紅葉の葉は、竜田川の川面を彩る錦だったのだなあ


寂しさに 宿を立ち出でて 眺むれば いづくも同じ 秋の夕暮れ

意味:寂しさのあまり、庵を出て外の景色を眺めると、どこも同じように寂しい、秋の夕暮れよ。


ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば ただ有明の 月ぞ残れる

ホトトギスが鳴いた方角を眺めると ただ有明の月だけが残っている

解説:女の家から帰っていく男がこの歌の主人公かもしれない。ホトトギスの姿を未練がましく求める男の視線や、後朝(きぬぎぬ)の場面を象徴する有明の月が、なんとも妖艶な印象をもたらす


14古今和歌集 ビギナーズ・クラシックス」中島輝賢

<あらすじ>四季の移ろいに心をふるわせ、恋におののく。現代人と変わらない痛切な想いを、1100年以上前の平安時代の男女は和歌という五・七・五・七・七の三十一文字に込めて歌い上げた。本書では、古今和歌集20巻、約1100首の中から精選した歌を70首余取り上げて丁寧に解説。「倭歌は、人の心を種として、よろづことの言の葉とぞなれりける」と、冒頭の仮名序に記す古今和歌集の魅力を存分に味わえる一冊。ふりがな付きで朗読にも最適。

<感想>

・歌を70種に絞っており、翻訳も解説も分かりやすく、読みやすいです。背景知識も詳しく書かれているので鑑賞の参考になります。

・角川文庫のビギナーズ・クラシックスでは、古今和歌集のほかにもさまざまな古典を扱っているようなので、また何か読んでみたいです。伊勢物語や各種日記(紫式部日記など)が気になります。私家集の本も出してくれると有り難いのですが。

・印象に残った歌

仮名序

やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人、事業(ことわざ)、繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。花に鳴く鶯、水にすむ蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける。力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の仲をも和らげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり。

意味:和歌は、人の心を種として、それが成長して様々な言葉になったものである。この世の中に生きている人は、関わり合いになる出来事や行動が多いので、それらについて心に思ったことを、見るものや聞くものに託して言葉で表現しているのである。花の枝で鳴く鶯(うぐいす)や、川に住む河鹿蛙(かじかがえる)の声を聞くと、いったいどんな生き物が歌を詠まないだろうか。いや、すべての生き物が感動して歌を詠むのだ。力を入れないで、天と地を動かし、目に見えない恐ろしい神や霊を感動させ、男女の仲を親しくし、勇猛な武士の心を慰めるものはやはり、歌なのである。


花の香を 風のたよりにたぐへてぞ 鶯(うぐいす)さそふ しるべにはやる(標には遣る)

意味:花の香を風という手紙に添えて、鶯(うぐいす)を誘い出す道案内として送るのだよ。

読み人:紀友則


五月待つ 花橘(はなたちばな)の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする

意味:旧暦五月を待って咲く橘の花の香りを嗅ぐと、昔の恋人の袖の香りがする。

読み人知らず(伊勢物語)


蓮葉(はちすば)の 濁りの染まぬ 心もて 何かは露を 玉とあざむく

意味:蓮の葉は、泥水に生えても濁り染まらない心を持っているのに、どうして葉に置く露を宝玉とあざむくのか。

解説:法華経に「世間の法に染まらざること、蓮華の水に在るがごとし。(俗世間にまみれないのは、蓮の花が泥水に咲いているようなものだ)」とあるのを転居としている。蓮は水の中に生えるものだが、仏教では神聖さを象徴する植物で、仏様は蓮華の上に座っている。


夏と秋と 行きかふ空の 通ひ路(かよひぢ)は かたへすずしき 風や吹くらむ

意味:夏と秋がすれ違う空の通い路は、片側は涼しい秋風が吹いているのだろうか。

読み人:凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)


秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる

意味:秋が来たと目にははっきり見えないが、風の音によってハッと気づいたことだよ


しののめの ほがらほがらと 明けゆけば おのがきぬぎぬ なるぞ悲しき

意味:明け方の空が、ほんのりと明るくなっていくと、自分の衣をそれぞれ身につけるーそうして別れの後朝(きぬぎぬ)になるーのが悲しいことだなあ。



153つの視点で会社がわかる「有報」の読み方」EY新日本有限責任監査法人

<あらすじ>有価証券報告書を読むポイントを1財務健全性等の大局的な読み方、2子会社買収等ケースに応じた読み方、3主要項目毎の読み方で解説。収益認識基準やIFRSの視点を盛り込んだ最新版。

<感想>

・仕事(経理財務)の勉強も進めていきたいので読むことにしました。

・分かりやすくまとまっています。

・有報の読み方に重点を置いていますが、有報に限らず幅広く会社の数字を管理する視点が身につくと思います。ある事象がBS・PL・キャッシュフロー・財務指標にどのような影響を与えるかが見えてきました。

・IFRS(国際会計基準)に関するトピックがいくつか取り上げられている点も良かったです。

・経理財務の世界では「有報(ゆうほう)」が普通に通じますが、こういうのも業界用語ですよね。私は初めて聞いたときUFOかと思いました。他にも、貸引(かしびき)=貸倒引当金、長前(ちょうまえ)=長期前払費用、非持(ひもち)=非支配株主持分、法住事(ほうじゅうじ)=法人税、住民税及び事業税、法調(ほうちょう)=法人税等調整額、繰税(くりぜい)=繰延税金資産などいろいろあります。


16CNN English Express 2022年6月号」朝日出版社

<あらすじ>CNNは連日、ウクライナの参加を現地から全世界に中継。今月号では、数あるニュース素材の中から、日本のメディアではあまり取り上げられていないものを厳選しました。特集ページでは、ゼレンスキー大統領の経歴に焦点を当てたニュースと、戦禍でも命懸けで運行を続けるウクライナの鉄道員たちのニュースをお届けします。

<感想>

・先日読んだ「ウクライナ戦争は世界をどう変えたか」で紹介されていた、ケニア国連大使キマニ氏のスピーチについて調べていたところ、この雑誌でキマニ氏の対談が取り上げられていると知りました。英語の勉強にもなるかなと軽い気持ちで購入しましたが、すごく良かったです。

・旧ソ連に関する研究者・廣野陽子氏の解説「それでも、プーチンは戦争を選んだ」(日本語のみ)、キマニ氏のインタビュー、フランシス・フクヤマのインタビューが勉強になりました。

・英語の教材としてこの雑誌は良いと思いました。取り上げる内容も面白いですし、単語の意味も日本語訳も書いてあるので調べる手間が省けます。CNNニュースの日本語訳だけでなく、記事に関するコラムや、雑誌オリジナルのコーナーも力を入れて作られています。「あるあるビジネス英会話」というコーナーは実践的で内容も面白かったです。新刊やバックナンバーを探して面白そうな号があれば、他にも読みたいと思います。


17古今和歌集全評釈 上中下」片桐洋一

<あらすじ>冷泉家時雨亭文庫所蔵、嘉禄二年書写の藤原定家自筆本を底本とする、1998年講談社刊『古今和歌集全評釈』を文庫判で完全再現。詳細な通釈・語釈に、緻密な校異、さらに訳者の鑑賞・評論を加え、「古今」を楽しむうえで最高の手引き書となっている。

<感想>

・古今和歌集の1,111首すべての歌が収録されています。文庫本としては見たことないほどの分厚い3冊(上中下)。歌一つ一つに、現代語訳、単語の意味、鑑賞と評論のコメントがついています。

・この本は、はっきり言ってとんでもないです。著者・片桐洋一氏の並々ならぬ情熱が感じられ、圧倒されます。学者特有の客観的な文体で書かれていますが、内容には情熱が溢れています。私は素人なので詳しくありませんが、古今和歌集の集大成という位置づけの本なのではないかと思います。

・たとえば上巻p388から始まる箇所を読んで驚きました。一つの和歌に対して4ページにわたる解説が書かれています。
【歌】み山には 松の雪だに 消えなくに みやこは野辺の 若菜摘みけり
【訳】深い山では、松の葉においた雪でさえまだ消えないのに、都ではもう野辺の若菜を摘んでいることであるよ。
鑑賞と評論で、「歌の作者がどこにいるか」について過去の文献から4つの可能性を上げたうえで論考し、一つの結論を導いています。著者の膨大な知識と鋭い考察の跡をたどるのは、畏敬の念を抱くとともに、知的な興奮を覚えます。

この歌で最も問題になるのは歌の作者がどこにいるかということである。

第一は都にいる人物が若菜摘みを見ながら遠く山を望んで詠んだという古来の説である。(中略)

第二は山にいる人物の詠とする説である。(中略)

第三は屏風の絵に合わせた歌とする説である。(中略)魅力的な見解であるが、前歌の場合と同様に「題知らず・よみ人知らず」の歌であり古い時代の和歌である可能性が強いのが気になる。屏風歌の盛行は<六歌仙時代>以後のことだからである。実際、多くの屏風歌に比し大らかに過ぎる。(中略)

第四は「早春の、春の遅い山では、まだ雪が高く積もっている頃に、そうした山に住んでいる人の、たまたま都へ出て来て、都では野の若菜を摘んでいるのを見て、春の進退を対照させていれた感のある」という「窪田評釈」の説である。この歌を詠む時、「~消えなくに~けり」という歌の構造に、非常に強い何かを感じるのは私だけであろうか。「み山では松の雪さえ消えないのに、都では……」という驚きの気持を読みとらざるを得ないのである。 都では野辺の若菜を摘んでいるのに、太山では松の雪だに消えずに残っているという驚きから都の人の詠としてよいが、若菜を摘んでいることに驚いているのだから、これはやはり都の人の詠ではあり得ない。また都の人の詠なら「みやこは野べの~」という言い方もおかしい。都の人から見れば、「野べ」は、ずいぶん辺鄙な所であり、「都」と一体化できるはずがないからである。

次に第一の「山の中に作者がいる」とする説である。(中略)山の人であるゆえ、あなたの世界とでもいうべき都の若菜摘みを目のあたりにして見て「けり」を理解することは可能だが、遠く山中に隠居していて「みやこは野べの若菜つみけり」と言ったとは考えられない。「あなた」の世界のことを対象としていても、それをみずからを確認を経、表出するのが「けり」の本義であろうと思うからである。(中略)前の一八番歌で「幾日ありて若菜摘むてむ」と言い、後の二〇番歌で「明日さへ降らば若菜摘みてむ」とある間に位置する歌である限り、摘んだ若菜が山中の庵でとどけられたと見るのは無理である。

これは「明日さへ降らば若菜摘む」と言っている人よりも、さらに早く摘んだ、いわば若菜摘みのトップを切ったことへの驚きの「けり」と見るべきものなのである。このように見て来ると、結論はおのずからにはっきりして来る。「窪田評釈」のように山から都へ出て来た人が、あまりに早い若菜摘みを見て「み山には松の雪だに消えなくに~」といって驚いているのである。


・前書きにも古今和歌集への思いが溢れています。

p13 情(こころ)を抒(の)べる文学

生涯学習ということで、成人向きの古典文学講座が花盛りである。研究に忙殺されているからとか、原稿執筆に追われているからとか、勤務先の大学での公務にしばられているからとか、さまざまな理由でお断りすることが多いが、どうしても断り切れない場合もあって、そのような講座に出ることもある。

だが、そのような時、「古今集」の講義は敬遠して、いつも「伊勢物語」などの話をしてしまう。それは何故か。心の奥底に「古今集」は一般人に受けないのではないか、あるいは別の言い方をすれば、「古今集」を一般人におもしろく理解してもらうだけの力が自分にはないのではないか……というような思いが胸の中に横たわっているからだと自分自身で反省している。

正岡子規が「貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候」(『再び歌よみに与ふる書」)と喝破したのは有名だが、何の予備知識もなしに「古今集」を読むと、誰しも、何かチグハグなものを感じ、素直に打ちとけられないものを感ずるのではなかろうか。現代人には「万葉集」の素朴さでなければ、「新古今集」の職美性のほうが親しみやすいのではないか。

しかし、それでは、「古今集」は現代人にまったく理解され得ないのかといえば、必ずしもそうではないと思う。ただ、いささかの予備知識といささかの心がまえが必要なだけであると思う。いささかの予備知識と心がまえさえ備わったら、この「古今集」が日本人の表現と抒情のあり方に最も深くかかわっている文学であることがわかると思う。そして、その予備知識の一つとして仮名序の冒頭を読んでおくだけでも、「古今集」に対する理解と評価はずいぶんと違うと思うのである。

倭歌(やまとうた)は人の心を種としてよろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざしげきものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて言ひいだせるな り。

種を蒔けば、芽が出て、やがて葉が笑る。この世の中、言うこと、なすことが多いので、心に思うことを出き出したくなる。そんな時、ただ吐き出すのではなく、見る物、聞く物に託して抒情する、そのようにして心が表れ出て形をなしたものが歌だと言っているのである。つまり、「古今集」の和歌は、見る物、聞く物をそのままに詠む<写生><写実>の文学ではなく、みずからが心に思うことを、見る物、聞く物を利用し、それに託して表出する<抒情(じょじょう)>の文学だと言っているのである。したがって、和歌に詠まれている素材は、対象として作者と加時するのではなく、比喩として作者の内なるものと同化してしまっているのである。

今、試みに「古今集」の中で、数多く詠まれている動物をあげると、「ほととぎす」が最も多くて四十三例、次いで「うぐひす」の二十七例、次に「夏虫」とか「松虫」を含めた「虫」の類が十四例、「鹿」の十例とくが、いずれも「鳴く=泣く」の比喩として用いられている。「古今集」の動物は「鳴く」ものばかりだと言ってもよいのである。「声はして涙は見えぬ郭公(ほととぎす)」(夏・一四九)に涙に流れた我が衣を借りてほしいと言ったり、「古き都の時鳥(ほととぎす)」(夏・一四四)に昔をしのび、泣くことによって花の散るのが止まるものならば私も鶯以上に鳴くのを殿わぬと言い(春下・一〇七)、「世にふれば言の葉繁き」ゆえに鶯とともに鳴き(雑下・九五八)、「我がために来る秋」ではなくても「虫の音聞けばまづぞ悲しき」(秋上・一八六)と詠じ、「鹿の鳴く音に目をさましつつ」(秋上・二一四)秋の山里のわびしさを嘆ずるというように、「ほととぎす」であれ「鶯」であれ、「虫」であれ、「鹿」であれ、鳴くものはすべて、作者がみずからの心を抒(の)べるために託する物、寄せる物となっているのである。

抒(の)べるべきは、「物」ではなく、「心」なのである。春上の冒頭、まだ新年になっていないのに春が来たと喜んで「一年を去年とやいはむ今年とやいはむ」(春上・一)とおどけてはしゃいでみたり、まだ眼前に春は来ていないが、あの水を「春立つ今日の風やとくらむ」(同・二)と遠い彼方に春のあかしを求めたり、それこそ眼前に春が来ているはずもなく雪が降っている「みよし野の吉野の山」に居て「春霞たてるやいづこ」(同・三)と思いやったり、「雪の内に」春を迎えて「うぐひすのこほれる涙今やとくらむ」(同・四)と見えるはずもないものを想像したりというように、第十一首目の「春来ぬと人は言へども驚の鳴かぬかぎりはあらじとぞ思ふ」の歌までは、暦では春になっても実際はまだ彼方にある春に思いを寄せ、待ちのぞむ「心」を詠んだ歌が並んでいるのである。鶯を詠んでいても、鶯そのものを詠んでいるのではない。梅を詠んでいても、梅そのものを詠んでいるのではない。春を待つ情(こころ)を、鶯や梅に託して詠んでいるのである。

この点を忘れて、<写生の文学><写実の文学>として、あるいは「万葉集」を読むのと同じような姿勢で「古今集」を読むと、「古今集」はまったくつまらない文学のままに終ってしまう。「古今集」には「古今集」の方法がある。その方法を理解し、その方法に従って読んでみると、今までは気づくことのなかった新しい世界が、おのずからに広がってくるのに驚く。同時にまた、その新しい世界が、意外にも現代の我々の心につながっていることに驚くのである。

・歌の漢字すべてに読み仮名がついていたら尚嬉しいですが、読み仮名が付いていないことを差し引いてもすごく価値のある本です。

・この本に限らず古今和歌集に関する本はきまって、かつて正岡子規が古今和歌集を「くだらぬ集」と評価したことに触れています。「千年以上の歴史を持つ歌集を、たった一人の歌人が批評しただけなのに、子規の批評を大げさに捉えすぎでは?」と思い、夫に話したところ「明治は権威の時代だから、正岡子規という当時の歌壇の第一人者にこき下ろされたら、古今和歌集を好む人にとっては大きな打撃だったのではないか」と言ってました。ふうむ、そういうものなのでしょうか。正岡子規のコメントに引きずられている文章を読むとなんだか微笑ましく感じてしまいます。

・とてもすべては読みきれませんが、ときどきランダムにページを選んで歌を楽しみたいと思います。


18適時開示実務入門」鈴木 広樹

<あらすじ>投資家への最初の重要情報の開示で、インサイダー取引規制とも関係する適時開示は上場会社の経営者や担当者に必須の知識である。重要ポイントを網羅的かつ体系的にやさしく解説。

<感想>

・実務に即した具体的な内容が分かりやすくまとまっていて勉強になりました。


19猫は殺しをかぎつける」リリアン・J. ブラウン

<あらすじ>グルメ記事の担当になった新聞記者のクィラランはパーディーで昔の恋人と再会した。彼女は陶芸家と結婚し、自分も女流陶芸家として活躍していた。ところが、まもなく行方知れずになってしまったのだ。夫婦げんかが原因の家でと思えたが。過去に忌まわしい事件があった邸で次々と起こる怪事件。飼い猫ココが掘り起こす驚くべき真相とは。猫好きに捧げる新シリーズ第一弾。

<感想>

・今年に読んだ「猫は鳥を見つめる」と「猫は流れ星を見る」が良かったので、メルカリでシリーズを探していたところ掘り出し物を見つけて即買いしました。軽い読み物としてときどき読んでいきます。

・シリーズの最初の作品かと思って読み始めたのですが、原作では4作目でした。原作の刊行順と、日本(早川書房)の刊行順は少し違っているようです。日本語翻訳版に関する話題

・陶芸についていろいろな知識が説明されていて面白かったです。

・私がこれまで読んだ2作品はシリーズの後半の作品で、パートナーのポリーと安定した関係を築いているクィラランしか知らなかったので、この作品でかつての婚約者ジョイと再会してクィラランが舞い上がるのが意外でした。でも、ジョイはたしかに魅力的。クィラランが夢中になるのも分かりますねえ。

・なんというか、ジョイがかわいそうでした。魅力的なキャラクターをストーリーの都合でこんなふうに扱うべきではないと思います。


20紀貫之」田中登

<あらすじ>紀貫之。日本の和歌に漢詩に基づく機知的な表現を導入し、明治期まで続いた長い和歌伝統の礎を作った古今集歌人。受領階級という低い官位のまま終わったが、職能歌人として多くの屏風歌を提供、晩年には仮名文の日記紀行「土佐日記」を著すなど生涯を表現者として過ごし、「古今集」仮名序の「やまと歌は人の心を種としてよろづの言の葉とぞなれりける」と始まるその文章は、日本初の歌論として後世に多大の影響を与えた。百人一首に「人はいさ心も知らず―」の名歌を残す。

<感想>

・かねてより紀貫之に興味を持っていたので、彼の歌に関する本を探して読むことにしました。

・本書は笠間書院のコレクション日本歌人選の1冊です。コレクション日本歌人選は、万葉集の時代から現代まで幅広い時代から主要な歌人60人を選んで、それぞれの歌の意味や鑑賞を平易な新書で紹介するシリーズなのだそうです。とても読みやすく、一つ一つの和歌を深く楽しめるよい本だと思いました。在原業平、清少納言、源氏物語の和歌、藤原良経、菅原道真、紫式部などが気になります。


以下は印象に残った箇所です。


人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける

人の心はさあどうだか分かりませんね。でも、ここ長谷の地の梅の花だけは昔の香のままに咲きおこっていることですよ。

・百人一首に採られている有名な歌。これは紀貫之が奈良の長谷寺参りの折、泊めてもらった宿で詠まれた歌です。私は大学時代、京都から奈良の長谷寺に行ったことがあります。長谷寺は牡丹が有名で、ぼたんまつりの時期に行きました。お寺は立派ですし、牡丹も綺麗ですし、長谷寺駅から歩く道のりも楽しいのでおすすめです。


吉野河 岩波高く ゆく水の はやくぞ人を 思ひそめてし

岩打つ波が高く流れていく吉野河の水のように、たちまち私もあの人に思いを寄せるようになってしまったことだよ。

・この歌は、景色を描いた上句と心情を述べた下句に分けられます。このように上句で景を、下句で情を読むのは、万葉集以来の伝統だったそうです(景から情への転換)。自己の心情にどんな景色を対応させるのかが腕の見せ所なのだそうです。


色もなき 心を人に 染めしより うつろはむとは思ほえなくに

どんな色にも染まっていなかった私の心を、あなたの色に染めて以来、まさかあなたの心が色あせてゆこうなどとは、思ってもみなかったのに。

・ピュアですねえ。この歌の他にもいくつか恋の歌が紹介されていましたが、どれもピュアだなあと思いました。

・古今和歌集1,111首のうち恋の歌は360首ほども収められており、成就した恋の喜びを詠ったものは少なく、逆に苦しい片想いや悲しい失恋を詠んだ歌ばかり並んでいるそうです。著者は「当時の歌人たちが、読者を感動させ、納得させることができるような恋歌の本意(事物の本来的な性質)というものは、まさにこうした側面にあると考えていたためであろう」と述べています。なるほど。


p42 屏風歌(びょうぶうた)について

神殿造りと呼ばれる平安貴族の邸宅にあっては、広い空間を仕切るために几帳や屏風といった家具が使用されたが、その屏風には正月の若菜積み、二月の梅、三月の桜…といったように、四季折々の大和絵が描かれていた。そして、その絵の一隅には、絵の内容にふさわしい歌が書き添えられるのを常としていたが、こうした歌のことを屏風歌と言う。

貫之の個人歌集である「貫之集」は全体が9巻900余首からなるが、そのうち前半の5巻500余首はすべてこの屏風歌で占められている。これは当時、貫之が屏風歌作者としていかに人気があったかを如実に示すデータと言えよう。


この人を下に待ちつつ、ひさかたの月をあわれと言わぬ夜ぞなき

やって来ないあの人を心ひそかに待ちながら、空に出た月を、ああ、素晴らしい、と称賛しない夜とてないことだよ。

・屏風歌の一つ。屏風の図柄の女性が夜遅くまで寝ずにいるのは美しい月を眺めるためではなく、愛する男性を待つため。もし傍らの人に「なぜ寝ないのか」と聞かれたら、「だって今夜もお月様があまりに綺麗なんですもの」と答えるのですって。ツンデレな感じが堪らないですね。「図書館戦争」の柴崎を思い浮かべてしまいました。

百人一首に採られている赤染衛門の歌もこのような歌がありましたね。

やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて 傾(かたぶ)くまでの 月を見しかな

(こんなことなら)ぐずぐず起きていずに寝てしまったのに。(あなたを待っているうちにとうとう)夜が更けて、西に傾いて沈んでいこうとする月を見てしまいましたよ。


いずれをか 花とはわかむ 長月の 有明の月に まがふ白菊

一体どれを花だと区別しようか。この長月の夜明け方、見分けがたくなった月の光と白菊とを。

この歌は、白い菊の花に白い月の光が差し、はて、いったいどちらのが月の光で、どちらが菊の花やら、とやや大げさに戸惑って見せているわけだが、こうしたAをBに見まがうという表現は、実は平安時代の歌人たちがお手本としていた中国の詩にしばしば出てくる表現なのである。

例えば百人一首で知られる凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)の「心あてに 折らばやおらむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花」の詠もそうした例。こちらは白菊に白い霜が降りて、手(た)折るにも骨が折れることだよ、とこれまたややオーバー気味に困惑して見せたもの。

白菊の花を歌うのに、花そのものの美しさをいわず、月光が差してきて見わけがたい、というこの表現法は、多分に分析的・理知的であり、その点が、後の正岡子規の攻撃するところとなったわけだが、当時の貴族はこうした表現を、中国風の新鮮なものとして歓迎したのである。

・「まがふ」といえば、百人一首の「わたの原 漕ぎ出でて見れば 久かたの 雲ゐにまがふ 沖つ白波」を思い出します。「大海原に船で漕ぎ出し、ずっと遠くを眺めてみれば、かなたに雲と見間違うばかりに、沖の白波が立っていたよ」と、こちらも波の白さを雲の白さを引き合いに出して表現していますね。


p84 亡児哀悼(ぼうじあいとう)

「土佐日記」全体のテーマについては、昔から研究者によって様々な説がなされているけれど、その内の一つに亡児哀悼の問題がある。日記によれば、前土佐守夫妻は、任地の土佐で幼い女児を亡くしたといい、それに関する記事は、早くも承平四年(九三四)十二月二十七日の条に顔を出す。(中略)日記の中でかなりの比重を占める亡児哀悼記事ではあるが、実はこれについては昔から虚構説があり、亡児哀悼という形を借りて、貫之が亡年の喪失感(たとえば貫之の庇護者兼輔の死など)を表したとみる向きもあることを付け加えておこう。

・へえ、と思いました。そもそも土佐日記は貫之が女性になりきって書いた日記ですし、内容についても創作の部分が多いかもしれませんね。


こと夏は いかが聞きけむ 郭公(ほととぎす) こよひばかりは あらじとぞ思ふ

これまでの夏は、どんなふうにホトトギスの鳴き声を聞いていたのであろうか。いずれにしても今年ほど素晴らしいものとは思われないことだよ。

・詞書によると、古今和歌集の編集作業が行われた初日、桜の木にホトトギスが鳴くのとを聞いて感動した際に詠んだ歌なのだそうです。勅撰集の撰者という栄誉を手に入れた貫之の興奮と感激と喜びとがうかがえる、とのこと。浮かれている貫之を想像してかわいいなと思いました。


p88 歌徳説話(かとくせつわ)

所用で紀伊の国(今の和歌山県)に下向した折のことである。帰京の途次、貫之が乗っている馬の様子が急変し、先に進まなくなってしまった。道行く人びとが言うには、「これはここにいる蟻通(ありとおし)の明神のなせるわざ。困ったことだが神様にお祈りするよりほかあるまい」と。だが、神に祈ろうにも供物はなし。仕方がないので、貫之はこの歌を詠んで、神にたてまつったという。(中略)このように人びとが詠んだ歌に神仏が感応し、その結果、何かご利益をこむるという話は、この時代決して少なくはなく、こうした類の話を研究者は「歌徳説話」と呼んでいる。

・そういえば百人一首に、神に捧げる歌がありましたね。捧げ物がないので代わりに紅葉を捧げます、なんて洒落てます。

このたびは 幣(ぬさ)も取りあへず 手向(たむけ)山 紅葉の錦 神のまにまに (菅原道真)

今度の旅は急のことで、道祖神に捧げる幣(ぬさ)も用意することができませんでした。手向けの山の紅葉を捧げるので、神よ御心のままにお受け取りください。



21黒後家蜘蛛の会3」アイザック・アシモフ

<あらすじ>〈黒後家蜘蛛の会〉には数々のお楽しみがある―会員たちによる丁々発止の会話、ゲストが食後に提供する多様な謎、そしてその難問を見事に解決する偉大なる給仕ヘンリーの名推理。黄金パターンを確立した、殿堂入りの連作ミステリ短編集第3巻には、火星や日蝕の様相など科学の領域から、アメリカ大統領にまつわるトリビアまで、多岐にわたる分野に材を取った全12編を収録。

<感想>

・ときどき気軽な読書がしたくなります。そんなときにぴったりの「黒後家蜘蛛の会」。1巻と2巻を読んだことがあるので、今回は3巻。やはり、良かったです。豊かな登場人物、軽妙なやり取り、解き明かすのは不可能かと思われたときに答えをだしてしまうヘンリー。すべてが心地よかったです。ミステリーと身構えて読むと拍子抜けするかもしれませんが、軽い読み物としてちょうど良いです。

・特に好きだったのは「家庭人」「欠けているもの」「かえりみすれば」

・各話の最後に書かれた裏話も面白いです。

・余談。大学生のときに住んでいた学生寮で出し物をする機会があり、題材を探していたところ、NHKのラジオドラマで黒後家蜘蛛が演じられていたのが面白かったので、寮生と一緒にやってみました。第1巻の「会心の笑い」です。我ながら、あの企画はすごく良かったなと思います。